デンキ屋が20年前に語りたかったゲームセンターの話

現在電気屋の筆者がゲーム業界にいた頃の体験から語るゲームセンターとアーケードゲームの話。基本的には当時の記憶が頼りなので多少の間違いは大目に見てください。

業界を変えたゲーム達(2) メダルゲーム

メダルゲームが変えたもの

最近ではすっかり見る機会の減ったメダルゲームだが、私のいた1990年頃は丁度ゲームセンターからアミューズメントスペースへの変化を模索していた頃で、その一環として各店に導入され始めていた。
繁華街の店舗が中心であったが、一時はゲームセンターの活性化に一役買っていたものである。

それまでのメダルゲームそのものはどちらかと言えば子供向けとしてショッピングセンターや遊園地内の店舗等に以前から存在はしていたが、ビデオゲーム中心のゲーセンでお目にかかる事は殆どなかった。
その中、シグマ(現アドアーズ)がカジノばりの本格的なMIMOマシーン(メダルイン メダル アウト)、つまりメダルゲームを前面に押し出したゲームセンターを運営し、大成功していた。

シグマ独自のスロットやポーカー等の台がずらりと並び、大型の競馬、メダル落とし等の台が、ゲーセンとはまるで違う大人向けの雰囲気を醸し出し、活況を呈していたのである。
若年層が中心となっていた当時のゲーセンとは客単価の差も大きく、効率の違いは明らかであった。逆にビデオゲームも充分に設置してあったが、そちらで稼ぐ気は無かったらしく、まだ繁華街では100円だったワンプレイ単価を新製品でも50円にして客集めに使っていたのである。

そのシグマの成功を見たセガタイトー等の大手ゲームメーカーもその波に乗るべく独自のメダルゲームを開発し、新しい業態に参入したのである。

だが、正直メダルゲーム導入後の売り上げは店舗によって結構バラツキがあったように思う。
私自身店舗で実感したのだが、シグマの台に比べ他社製の台はメダルのペイアウト率が低い、つまり投入したメダルの枚数に比べての当たり枚数が少なかったり、ジャックポット、いわゆる大当たりが少なかったりと今一つ面白さに欠けたのだ。
またセガの大型台は派手で見栄えがしたがその大きさから導入できる店舗は限られていた。
当然、機械を設置するだけではすぐ飽きられ、とてもではないがシグマの店舗には太刀打ちできなかったのである。
しかも、ビデオゲームとは違い簡単に基盤を交換する訳にもいかず、導入は失敗したと判断する店舗は結構あったはずである。

だが、私自身はこのMIMOマシーンの導入はゲーム業界にとってとても大きな変革のきっかけになったと考えている。

シグマのゲームセンターはけして機械をただ設置しているだけではない。
ジャックポット時に店内放送で台の大当たりや競馬ゲームの高配当を実況したり、メダル落とし台にメダルを積み上げ落ちやすさを演出するなどの「場を盛り上げる」工夫を絶えず実行していたのである。
その事自体はメダル導入時に研修で習ったことではあったが、最初はその重要性に懐疑的だった。
だが私の店も当初は売上が振るわず、売上アップを模索する中で他店の情報やシグマの運営を参考にしながら様々な方策をとった結果、日々の細かな運営努力が重要である事を実感する事になるのである。

私の店は規模が小さく、大型店のような派手な事はできなかったがその分自分一人である程度回せる様な細かい対応が可能であった。
また、その日に使い切れなかったメダルはカウンターに預かるシステムとなっていた為、預かりや払出し業務といったお客様との接点が出来、自然とコミュニケーションをとる機会が増えたのだ。
そうして得た情報をまた運営に活かす事を重ねる内、それは目に見えて売上げアップに繋がっていったのである。

この感覚は私の運営に対する考えかたを大きく変えた。
それまでのゲームセンターは売上を決定するのは設置されるゲームであり、基本的に機械のメンテナンスさえ問題なければさほど運営努力は必要とされていなかった。
それは運営側としては楽ではあったけれども、努力が結果に繋がりにくく、店長の意識が全体に低かったのである。
そんな中、こういったお客様とのコミュニケーションや店の動向を見ながらの細かい対応といった運営の方法はそれまではあまり考えなかったものであり、仮にやろうとしてもさほど効果的な事はできなかったものでもある。そして、いざそういう思考を意識し始めると、機種構成やレイアウト等の今まで見えてこなかったものが見えるようになり、店舗運営の面白さに目覚めたのである。

ビデオゲームと異なり、アイデアと接客を生かせる余地のあるメダルゲームは店舗担当に運営意識を芽生えさせるのに大いに貢献したのである。

メダルの運営はその意識をバイトも含めた店員全員に浸透させる必要がある。
本来ならばしっかりとしたマニュアルを作成して全員に教育を徹底する体制を作らなければ売り上げを持続させるのは難しいだろう。
メダルゲームが衰退していったのはそういった維持が難しかったからではないかと思うが、こういった運営に対する意識の変化はその後のクレーンゲームの運営に引き継がれていくことになるのである。