デンキ屋が20年前に語りたかったゲームセンターの話

現在電気屋の筆者がゲーム業界にいた頃の体験から語るゲームセンターとアーケードゲームの話。基本的には当時の記憶が頼りなので多少の間違いは大目に見てください。

忘れられない名機「アルカノイド」

イメージ以上に名作が多い不思議なメーカー

当時のタイトーという会社は実に不思議なゲームメーカーだったと思う。
勿論「スペースインベーダー」を産み出した老舗でもあるし、業界内では最大手と言っても良いメーカーである。
ただ、正直ゲーマーからの評価はそれ程高くなかったのではないだろうか。
例えばグラフィックの美しさといったビジュアル面や、設定を含めた世界観、ゲームバランスの甘さなど全体的に作り込み不足な感のある作品が多い。
サウンドだけがずば抜けて良いだけに、余計他の部分の粗が目立ち中途半端な作品を作るメーカーだという印象が強いのだ。

特に当時の他メーカーはグラフィック技術が向上し、またクリエイターが充実していたのかアニメ的な世界観の表現が各段に成長していた時期でもある。そんな中でタイトーの作品は見た目という点では明らかに見劣りしていたのである。

だが、そういう見た目のイメージとは裏腹に、タイトーは数年に一度は意外な程のスマッシュヒットを飛ばしていた。それもあまり目立たないが実際はインカムが高くしかも持続性の高い作品が多いのである。
そこにタイトーのスタンスが見えてくるのだが、基本的に一般向け、しかもやや年齢層の高い人向けを意識した作品が多いメーカーなのである。
以前の回でも触れたが、マニア向けの作品はプレイ時間が長くなりがちでゲーマーの評価の割にはインカムは低い。
逆に一般向け作品は爆発的な人気はそれ程期待できない代わりに比較的持続性が高い傾向があるのだ。
一般層プレイヤーのレベルはマニア程ではないため、プレイ時間を抑えられることが大きいのだが、それ以前にそれ程熱中するわけでもなく、程よく息抜きとして楽しめる作品が一般には受け入れやすく、更にその手軽さがコインを入れやすいという状況を作っているのである。

これは実際にゲームセンターを運営するタイトーだからこその方針だ。

電車でGO!」「トップランディング」「チェイスHQ」「オペレーションウルフ」等、ヒットした作品は全てと言ってよいほど一般向けの作品ばかりである。
グラフィックこそ地味でぱっとしない印象だが、気楽にプレイ出来そうな取っ付き安さとそれまで有りそうで無かった斬新さ、更にその中に少しだけ盛り込んだマニア向けの要素等、全方向へのケアを欠かさない絶妙な上手さがあるのだ。

恐らく意図していたヒットではなかった名機「アルカノイド

そんな作品群の中でも特にタイトーらしい作品と言えるのが「アルカノイド」なのではないだろうか。
言うまでもなく昔のブロック崩しのリメイクであり、画面が現代的に美しくアレンジされ、アイテムでパワーアップができるようになった作品である。

アルカノイド」は登場と同時にちょっとしたブームを起こすほどのヒットになった。
それも爆発的な大ヒットではなく、高い売り上げをキープしながらのロングヒットを続けたのである。

だが、正直このゲームがこれほどのヒット作になるとは誰も思わなかったのではないだろうか。

確かに元々ヒットした作品だったとはいえ、見た目が変わった以外はゲーム内容的にはほぼそのままである。
追加されたアイテム自体もゲーム性を変えるほどの奇抜さがあるわけでもなく、しかも効果としては微妙なものばかりでそれ程インカムに貢献しているとは思えない。

そもそも、このゲーム自体それ程力を入れて作った様には見えないのだ。

同時期に「リターンオブインベーダー」というまさに「スペースインベーダー」のリメイク作品がリリースされており、そちらはグラフィックもアイデアもそれなりに盛り込んだ力作となっていた。

それに対して、確かにオリジナルに比べれば美しいとはいえ、グラフィック面でもサウンド的にも、またわずか13面という面数の少なさ(ブロックの組合せだけで無限のパターンを生み出せることを思えば明らかに少ない)を考えても明らかに作り込み不足であり、どうにも間に合わせた感がにじみ出ているのである。

これは一応私の想像だが、「リターンオブインベーダー」にしろ、「アルカノイド」にしろ、制作サイドというよりは営業サイドからの発案で制作されたのではないかと思う。

タイトーはゲームセンター運営の売り上げが収益の多くを占めている。

当然、営業部門の発言力は無視できないほどに大きい。
ゲームセンターのノウハウが蓄積されている強みもあってか現場の声としての説得力があるのも事実だが、それとは別に単純にインカムを求める圧が強いのだ。

営業部門の求めるものは当然ながらインカムが全てである。

ゲームの質の向上や芸術性は正直二の次であり、ゲームファンの評価等は度外視である。
まあそれは商売である以上当然であり、マニア向けに制作したところでさほどメリットがないことは確かだ。
結果、必然的にインカムの望める一般向けの作品が多くなるのも当然といえば当然の流れなのである。

そういった意見や要望の中、商売としての視点から生まれた名機は多く存在する。
とはいえ、そうそう実際に商売に繋がる画期的なアイデアが出るわけもない。

現場の意見というのはあくまでも過去の成功例や現状の市場の流れを参考にしたものでしかないからだ。
大抵は曖昧な意見ばかりであり、その中で具体的な例として出がちなのが「昔流行ったあのゲーム」ということなのである。

勿論目新しさのないデメリットはあるとしても、その完成度とゲーム性は確実でリスクは少ない。またその開発費もある程度は抑えられるというメリットもあり、良くも悪くもリメイク作品はいかにもタイトーらしいと言える。

誤解のないように言っておくが、別にタイトーがリメイクばかり作っているというわけではない。
むしろ、実験的な作品の方が数多く制作されており、「数撃ちゃ当たる」的なおおらかさを持ち合わせている事もタイトーの特徴ではあるのだ。

多くの作品に人員を分散させていることもありひとつひとつの作品に熟成が足りない事の多いのが残念ではあるのだが、それでも数ある作品郡の中でアイデア勝負の突き抜けた作品が出る事もあるのは確かなのである。

アルカノイド」がヒットした不思議

話がそれたが、「リターンオブインベーダー」が明らかに力を入れた作品だったのに比べれば、「アルカノイド」は手を抜いた感のある出来だったのは確かだ。

だが結果としては「リターンオブインベーダー」は大コケし、「アルカノイド」は大ヒットした。そこがゲーム制作の難しさでもあり、インカムの不思議ではあるのだが、何故「アルカノイド」はそれ程のヒットをしたのだろうか。

「リターンオブインベーダー」が失敗した原因ははっきりしている。
あまりに前作との違いを出そうと頑張りすぎたために「スペースインベーダー」の懐かしさを感じる部分もゲームとして優れた部分もその殆どが引き継がれなかったためだ。

キャラクターはうねうねと良く動いているものの、これまた作り込んだ背景に溶け込んでしまい画面全体が暗く見づらいものになってしまっていた。
また、コンセプト自体は「スペースインベーダー」と同じであるにも関わらず、プレイ感覚は全く別物と言っても良いものになってしまったのだ。

シンプルで特徴的な敵のデザインも、あの独特なゲーム音も再現することはなく、また制限はありながらも気持ちの良い発射感も、敵を破壊した時の一瞬動きが停まるインベーダーならではの「間」も無くなってしまったのが非常に残念であった。

更に言えば、既にシューティングゲームというジャンルが確立していた当時ではインベーダーの整列した敵を倒すという内容自体が物足りない印象があった。

前作をプレイしていた人はそのギャップにがっかりし、初めてプレイする人にはゲームとしてのインパクトが足りないという中途半端な作品となってしまったのである。

それに対して、リメイクと割り切って余計な変更をしなかった事こそが「アルカノイド」の成功した本当の理由ではないだろうかと思うのだ。

昔プレイした人にはほぼそのままの感覚でプレイできる懐かしさがあり、また初めてのプレイヤーにとっては当時のシューティングゲームやアクションゲームに比べて全く異質のプレイ感覚を味わえる斬新さを感じる事が出来たのである。

シンプルな中の操作感の重要性

また、シンプルな中での操作感が実に良く出来ていた事も大きい。

硬質感のあるブロックと原色を基調としたスッキリとした背景の中、弾の跳ねる反響音が実に気持ちよく響く。
どこかリラックスできる手軽さと同時に爽快感をプレイヤーに与えるのだ。

そして案外気が付き難いがコントローラーとして採用されたダイヤルの操作感が絶妙によく出来ていた。

前作で採用されたボリューム式のダイヤルは軽いが遊びが無く操作がシビアだったが、「アルカノイド」ではトラックボールの操作と同じ光センサーによるものだ。クルクルと回るダイヤルのわずかに感じる重量感は実に気持ち良い。

以前にも触れたゲームにとっての重要な要素のひとつであり、意外に軽視されがちなのが基本操作の快適さと爽快感だ。

シューティングゲームならば弾を撃つレスポンスの良さや敵を撃破した時の音であり、アクションゲームならば敵を攻撃する時の打感等である。
ゲーム中最も感じる機会の多い基本操作時に快感を感じられないようなゲームが売れるわけがないのだ。

名作と呼ばれるゲームは、必ずと言ってもいいほど基本操作で得られる爽快感があるものだ。当然ながら、この「アルカノイド」にもそういった快感が備わっているのである。

しかも基本的に敵の存在しない(最後にはラスボスは出てくるが)この作品ではプレイヤー自身の操作の正確さがキモであり、当然コンパネの操作に意識が集中する。
その際のコントローラーの操作感の良し悪しは快感に直結するため非常に重要なのだ。
その点、この「アルカノイド」の操作感の良さは筐体の制作も豊富な老舗のタイトーならではであり、このゲームの特徴と利点を最大限に活かしていると言えるのである。

また、先程挙げた面数の少なさも幸いしている。
ある程度上達すれば面数をクリアするのは比較的簡単な部類であり、そのバランスも一般向けで好感の持てるものだ。
普通ならどんどんプレイ時間が長くなるところであるが、このゲームでは13面をクリアすればループせずに終了となる。つまりプレイ時間の上限を設けることでインカムの低下を防いでいるのだ。
下手に攻略を複雑化せず、長すぎず短すぎない、クリアで終了しても納得できる絶妙な面数だったと言えるのだ。そう考えれば、パズル的要素から考えれば少ないと思われる面数であったのは意図したものだったのかもしれない。

恐らく偶然から生まれた奇をてらわない究極のバランスと完成度

正直なところ、私はこのヒット自体は偶然が重なった結果の奇跡の産物だと思っている。

旧作のリメイクは安易な二番煎じとなりがちで、変に力が入ると旧作の良さを壊してしまい逆効果になることが非常に多い。

逆に余計な付け足しは最小限に留めて、旧作の個性や良さを損なわないように操作感の良さや難易度の設定、プレイ時間の調整を取ることは至難の技である。

それこそゲームデザイナーの個性を抑え、職人に徹するプロ意識こそが重要であり、単純にゲームが好きなだけではできることではないのだ。

結果的に、それら全てが非常に上手くバランスが取れた完成度の高さこそがヒットに繋がった最大の要因と私は思うのである。

本当にこれが意図したものなのか偶然なのかは定かではない。
だが、ヒット商品というのは案外あまり奇をてらわず基本的なことをしっかりと押さえておく事が大事なのだと思わされる作品なのである。

忘れられない迷機 「源平討魔伝」

新たな意味でゲームキャラクターを確立させた意欲作だが

私の中で忘れられない迷機と言えば最初に思い浮かべるのがナムコの「源平討魔伝」だ。
ゲームファンならば恐らく知らない人はいないであろうし、あれはどう見ても「名機」でしょ?という人がほとんどではないだろうか。
当時としてはかなり珍しかった日本刀を使った和風テイストのアクションゲームであり、恐らく初の格闘ゲーム並の大きさのメインキャラが登場したゲームである。

このゲームの特徴的なところは、ゲーム内容自体よりも独特の世界観を体感して楽しむ事に重点を置いたスタイルであるという点だ。

大抵の場合、ゲームは基本となるゲームの操作やクリア条件、ゲームオーバーの条件、そして何よりゲームの売りとなる要素と言ったゲームシステムの組み立てからスタートする。
そのゲームの何が面白くて、何が新しいのかが明確で無ければ責任者を説得して開発にゴーをかけることができないからだ。

だが、この「源平討魔伝」は巨大なキャラのアクションという画期的な部分はあるものの、ゲーム内容自体には特別売りと呼べるようなものがない。
確かにBIGモードと呼ばれる大型キャラが敵と戦う部分は見た目としては斬新だし迫力もある。
だが、今で言う格闘ゲームの様な緻密さはあまり感じられなかったし操作性もあまり良いとはいえず、正直その部分だけではゲームに引き込むだけの魅力にはかけるのだ。

BIGモード以外に至っては小さなキャラによるおまけの様なアクションゲームであり、残念ながらBIGモードだけではゲームとして成り立たないので付け足したようにしか見えないのである。
私自身は特にやり込んだわけではないので、隠れ要素で奥が深いのかもしれない。ただ、少なくとも数回プレイした位ではダラダラとプレイ時間が長いだけで、ゲームとして成り立っていないという印象しか感じられなかったのが正直な所だ。

だが、メインキャラクターである平景清を始め、亡霊や妖怪物の面妖な世界観を見事に表現し、まだハード的にも相当無理のあったはずの大きなキャラを体のパーツをバラバラに作って組み立てる事で表現してみせた事は相当なインパクトがあり、当時からかなり話題に登っていたのは記憶に残っている。
その話題性があればゲームファンならば間違い無くプレイしてくれるわけで、集客力としては成功したゲームと言えるのでは無いだろうか。

こういった世界観とキャラのデザインを売りにしたゲームという発想は、1980年代に入りハード技術が急激に向上してからだ。

それまでのゲームに登場するキャラと言えば最初にゲーム内容が確定し、制作の過程でその内容にそってデザインされた副次的なものである。
あくまでも操作に伴う動きのわかり易さが最優先であるのは言うまでもない。

更に言えば、ハードの制約がある以上デザインを重視できるほどキャラを大きく描けなかったのが現実だ。
インベーダーやパックマンは勿論、ドンキーコングに初登場したマリオが髭面だったのもドット絵で描くのに顔の特徴がわかり易い様にする為だったに過ぎない。
顔の付いたパックマンスーパーマリオは、ゲームが評判になったからこそ誕生したのであり、ヒットして初めてゲームキャラとしての地位を確立していったのである。

技術の向上でグラフィックやサウンドの制約が減っていくのに伴って、敵や背景デザインの自由度も増してどんどん複雑化していった。
各社ゲームメーカーも単に開発者のゲーム制作のついでとしてではなく、専門のデザイナーが世界観の表現を創り出す様になっていったのである。

その表現を最初にゲームの世界観として取り入れたのは紛れもなく同じくナムコの「ゼビウス」であろう。
自機や敵機の硬質で陰影のある秀逸なデザインと裏設定としての独特の世界観を感じさせる背景、そしてその地形や雰囲気を利用した裏ワザの数々はゲームの奥行きを拡げるという意味でも、またプレイヤーの想い入れを深めるといった意味でも非常に有効な手段として活用されていた。

ただし忘れてはいけないのは、元々のゲームシステムとして空中を攻撃するザッパーと、地上を攻撃するボムの使い分けを横から見た画面ではなく上から俯瞰で見た画面で行うというコロンブスの卵的な発想自体が素晴らしかったという点だ。
それをグラフィック技術の向上で表現する事が可能になり、その上で地上を攻撃するというゲーム性に説得力と広がりを持たせる為に自然に生まれたデザインなのである。

あの奥行きのある優れたデザインと世界観もゲーム内容の完成度が大前提としてあり、あくまでも演出のひとつに過ぎないのだ。

それに対して「源平討魔伝」は、内容に合わせたというよりはどちらかと言えばむしろデザインしたキャラクターや世界観を活かすためにどの様にハードの限界に挑戦するか、という試みを行った現在のゲームの在り方を先取りした様な作りであったと私には思える。

世界観や希少性を別にすれば、まだまだ技術的には表現で手一杯という感じで、はっきり言ってしまえばアーケードゲームとしては不完全な出来であったのは否めない。

また、この辺りから設定や裏ストーリーにこだわるあまり、肝心なゲーム内容の伴わない言わばデザイナーの独りよがりな印象の強いゲームが増えたのも確かだ。
そういった意味では良くも悪くもその先駆けであり、ゲームを一部マニアの物にしてしまったきっかけとなる作品となってしまったのもまた確かなのだ。

なぜ私がこれを「迷機」とするのかこれでわかると思うが、当然現場でのインカムが悪かったからに他ならない。
元々私の店舗にも入荷しなかったのではあるが、実際導入テストでのインカム自体もあまり良くなく、大量導入が見送られた位なのである。
私も他店に導入されているのを調査しては見たが、確かに客が途切れる事もなく、ギャラリーは周りを囲んではいたがまるでRPGゲームを見ているかのように延々と、そして淡々とプレイしている様を見て納得したものだ。

現在ではコンシューマーゲームでこのスタイルは完全に確立され、ゲームの世界は派手でデザイン重視の作品ばかりになった。
アーケードでは失敗したものの、家庭用ならばプレイ時間を気にする必要も無いし、現在の家庭用ゲーム機の性能であれば表現も充分余裕のある時代になった。
私自身のゲームとしての評価は低かったものの、現状を見てあらためて「源平討魔伝」の先見性を実感すると同時に、当時は夢物語であったゲームが制作できる様になった技術の進化に感嘆するのである。

忘れられない名機「スペースインベーダー」

現在のアーケードゲームを確立した名機

第一回目として取り上げるのはやはりこれしかあるまい。

現在のゲームセンターのスタイルを確立するきっかけとなったゲームであり、今だタイトーの顔として君臨するレジェンドたる名機である。

1978年に登場した当時、九州の田舎町ではゲームのプレイ料金は大体30円位で、まだ中学生だった私にはワンプレイ100円という料金設定はまだハードルが高かったため、私自身はそれ程ハマったわけでも特別な想い入れがあった訳でもない。

実際にインベーダーの凄さを実感したのはこの業界に入ってから先輩から聞いた数々の逸話だ。

現在のゲーム筐体はミドルタイプが主流だが、当時はテーブルタイプが殆どを締めていた。
これは元々喫茶店のテーブルの代わりに設置する事が目的だったためだ。
昔はテーブルの上にピーナッツや星占いの小さな販売機が置いてあったのを憶えている人もいるとは思うが、つまりはそういったちょっとした隙間での商売の延長だったのである。

私が業界に入りたての頃はまだ主流はテーブルタイプであり、その中でも製造時期によって数種類のテーブルタイプが稼働していたが、最も古いタイプはインベーダーが実際に稼働していた頃の台もまだ残っていた。

後期の台に比べ、やたらに頑丈で重い印象はあったが、それは盗難防止の為わざと重く作っていたという話もある。もうひとつ特徴的だったのがキャッシュボックス、つまりは100円玉が入る箱の大きさの違いだ。
現在の筐体のキャッシュボックスは100円玉計算で大体10万円から最大でも15万円弱位の容量だ。これは当時のテーブルタイプでも同じ位なのだが、初期の台はとにかく大きかった。
正確に測ったわけではないが、25万円から30万円前後は入る大きさだったと思う。

ゲームセンターでの業務のひとつに集金、つまり定期的にゲーム機のお金を回収するというのがあり、店舗の規模や売上によって数日から半月のペースで各ゲーム機からお金を回収する。

勿論、ある程度貯まるのを見計らって回収期間を決めるわけだが、大抵は人気のゲームでも半分貯まっていれば良い方だ。なので古い筐体のキャッシュボックスが何故無駄に大きいのかと不思議だったのだが、昔を知る人の話ではインベーダー全盛の頃はそれが一晩で溢れて詰まってしまっていたそうだ。
それも1台の話ではなく設置してある全ての台がそうなのだから喫茶店が最早ゲーム筐体を置くだけのゲームセンターと化したのも当然と言えば当然の話である。

他にも品薄のインベーダーゲームを求めて海老名の工場にアタッシュケースに札束を詰めて直接買い付けに来ていたとか、基板製作の為に電子部品をタイトーが買い占めてしまい、他の電子機器メーカーにかなり恨まれていたとか、インベーダーの売上だけで千代田区の超一等地に自社ビルを建てたとか色々な話は伝説として語られていた。
ゲームセンターという業態を確立し、レンタルによる営業や直営店といった運営方法が出来上がったのもこの頃からであり、ソフトウェアの著作権が初めて認められたのもこのゲームだ。
スペースインベーダーは正に日本中を「侵略」し、様々な変革を日本中に起こしたのである。

実質的なブームは1年程度だった筈だが、アーケードゲーム全盛期でも新製品が好調を維持できるのは3ヶ月程度だったことを考えればそれ程の長期間インベーダーのみのゲームセンターで運営が成り立つ事自体が今では考えられない異常なブームであった事を物語っている。

スペースインベーダーが日本を侵略できた本当の要因

スペースインベーダーはなぜこれほどのブームを巻き起こしたのだろうか。

理由として巷で言われているのはそれまで大体3分程度の定時間制が主だった時代に残機制を取り入れ、上手くなればいつまでも遊べる様にした事、それまで一方的に攻撃してそのポイントを競っていたのが敵が反撃する様になり緊張感が増した事等がよく挙げられている。

確かにその2点によって緊張感と射幸性が大幅に増したのは間違いないだろう。
私も子供の頃遊んでいたゲームと言えば的当てやドライブゲームの類で、それもビデオゲームでは無く機械的な物ばかりだ。それはそれで趣きもあったし知恵を絞った良作ばかりではあったが、緊張感や熱中度はそれ程では無く、ましてやそのゲームをプレイするために通うというようなことは考えられなかった。

テレビ画面を使ったゲームでも基本的には射的であり、こちらから一方的に攻撃するだけで敵が反撃してくるゲームというのはそれ以前にはなかった筈だ。
モニターに写したデジタルな画像で自機を操作できるビデオゲームと呼べるゲーム自体が非常に斬新で、それだけでもブームを巻き起こす要素は持っていたと言えるのだ。

その頃には既にビデオゲームの元祖としてブロック崩しが存在しており、そちらも大人気だったらしい。
スペースインベーダー自体がブロック崩しを参考に開発されたのは有名な話だが、確かに画面構成はよく似ている。何より残機制で上達することでプレイ時間が長くなる事も同じだ。

ビデオゲームとしての斬新さや射幸性、緊張感等こちらも名機と呼べる出来である事を考えれば、こちらが先にブームになっていても良さそうなものだが、後発のスペースインベーダーがこれ程爆発的に売れたのは何故だろうか。
勿論先に挙げた理由が一番大きいのだろうが、インベーダーには他にも後のゲームの先駆けとなった画期的な要因がいくつか見出すことができるのだ。

ひとつはその後のゲームで普通に見られるその操作方法である。
2方向のレバーにワンボタンという今ではこれ以上ないほどのシンプルな操作性であり、何を今更と思うかもしれないがこれでも当時のゲーム初心者にはこれくらいでなければ難し過ぎたのではないだろうか。
昔はレバーといっしょに体を左右に振りながらプレイしていた人も多かったのを憶えている。

ブロック崩しもダイヤルひとつで操作方法自体は簡単だと思われがちだが、当時のゲームはアナログ操作の微妙な力加減が必要な物が多く、ブロック崩しもパドルの操作感覚は意外に難しい。
しかも落ちてくる球を受け損なえばあっさりワンミスという、ゲームを維持する基本の条件が難しいのだ。
インベーダーの場合、最終的には侵略されれば終わりとは言え、基本的には敵の弾丸に当たらなければワンミスにはならない。
取っ掛かりとしてのハードルは非常に低く、操作がデジタルな分扱いは更に簡単になるのだ。

そして敵を撃破すること自体は非常に簡単にできている事も大きな要因である。
これもまた何を今更といった感じではあるが、敵に正対して弾丸を撃つだけというこれ以上無い簡単さだ。照準を合わせる際、特に意識する必要もなく攻撃が可能で、しかも敵は縦に並んでいるのでたて続けに撃破する快感が得られやすい。
基本となる攻防自体は簡単な操作性だからこそ敵の攻撃を回避しながら多数の敵を倒す快感を堪能することができるのだ。

ゲームを象徴するキャラクターデザインとサウンドも忘れてはいけない。
正直、デザインは今の感覚から考えれば恐ろしく単純で拙いものだ。それに当時の技術ではこの位シンプルな物しか作れなかったのでそこはやむを得ないところである。
だが、逆に制約の多い分極限まで無駄を削り落とした究極のデザインと言え、敵ながら何処か憎めないインベーダーのデザインは実に印象深かった。

逆に主人公である筈の自機たる砲台は味も素っ気もないデザインだ。
現代ならばメインキャラである自機デザインはかなり力の入ったものになるはずだが、プレイヤーが集中して見ているのは敵であるインベーダーであり、自機を見るのはやられた瞬間位である。
そう考えれば単純な自機デザインも納得のプロの仕事なのだ。

サウンドはビープ音の組み合わせ程度しか無い条件の中、プレイヤー側の高音の発射音と敵をプチっと潰した様なコミカルな音、それに対して集団で足並みを揃えるような低音の侵略者の足音の対比と組み合わせはメリハリと敵味方の構図がはっきりしており、シンプルだからこそしっかりした印象を残すことに成功しているのである。

ブームになったからこそではあるが、ゲームを象徴するキャラとサウンドが未だに世間に認知されるような個性として確立出来たのは勿論このゲームが最初であろう。

その後のゲームの方向性を決めた解りやすい戦略性

私がそれ以前のゲームと決定的に違っていたと思うのが戦略性という新しい楽しみ方だ。

まず画面構成を見て気付くのが自機の前に並ぶトーチカと呼ばれる敵の弾丸を防ぐ壁の存在である。
インベーダー以外のシューティングゲームではまず見ることの無いトーチカの存在。
私はこの存在がゲーム性を高める上で非常に重要なアイテムであったと考える。

単純に安全地帯という面もあるが、逆に敵を攻撃するためにはトーチカから出なければならない。この攻撃と防御という相反した効果のアイテムの使い方が攻略の鍵となるのだ。
例えば影から一瞬だけ出て撃って隠れる、トーチカの真ん中を撃ち抜いてその隙間から攻撃するといった敵との駆け引きがソロで簡単に味わえるのである。

実はこの「敵との駆け引き」こそがそれまでのゲームには無かったビデオゲームならではの面白さなのだ。

それまでのゲームにおけるソロプレイと言えば、プレイヤー自身の反射神経や操作の正確さ自体を競うものが主であり、相手との駆け引きはエアーホッケー等の対人でプレイするものに限られていた。

駆け引きと言うには単純過ぎるのは確かだが、スペースインベーダーのトーチカはそれまでの反射神経を競うだけの単純なシステムに、本来は対人でしかできなかった敵との駆け引きを感じられる遊びを加える事に成功したのである。

余談だが、インベーダー以前にも障害物があって敵との駆け引きが楽しめる「ウェスタンガン」というビデオゲームが1975年に既に登場している。
これはガンマン2人がサボテンや岩の障害物を利用しながら撃ち合うという内容なのだが、残念ながらこれは2人プレイ専用でありソロプレイ自体ができない。私も知らずに一度だけプレイしたのだが、相手が動かずがっかりした記憶がある。
これも製造元はタイトーであり、開発者もスペースインベーダーの開発で知られる西角友宏氏である。
その事を考えればブロック崩しウェスタンガンを元にしてスペースインベーダーが誕生したと言えるのではないだろうか。

更に注目すべきは意外に思われるかもしれないが整然と並んだ敵の配置だ。
普通に考えれば、もっとランダムに配置した方がシューティングゲームらしい筈である。

もしかすると技術的な制約できちんと並べざるを得なかったのかもしれないが、この配置は敵の動くパターンが実に読みやすい。
初めてインベーダーをプレイした人は大抵の場合ランダムに、下の方にいる敵から攻撃しているはずだ。
そして徐々に端の列から順番に消していった方が効率的で時間的に余裕がでやすいことに気付くはずだ。

この攻略パターンというものが登場したことこそがインベーダーのリピーターを生む原動力となったのではないかと思うのだ。

攻略パターンを会得する事で楽にクリア出来る様になるという事は、プレイ時間を伸ばしインカムを減らすという弊害はあるが知識である程度上達する事が出来るということだ。

つまり、それまでの反射神経依存のゲームではなかなか先に進めなかった初心者プレイヤーでも戦略次第で先に進める、次回はもっと上達できるという期待感からリピートしやすい、つまりは持続性を高める事に成功したのである。

今の基準で考えれば攻略パターンは単純明快で非常に解りやすいのだが、当時の一般プレイヤー達にしてみれば実にいい塩梅で絶妙なゲームバランスであった。

元々のゲーム本来の反射神経、正確さを競う楽しさに加え、簡単な操作による取っ付き易さ、障害物の利用による敵との駆け引き、そして攻略パターンによる初心者向けの分かりやすい戦略性といった様々な要因が実にバランス良く融合した結果、あれ程の大ブームとなったのではないかと思うのである。
今日の名機と呼ばれる様なゲームの要素は既にこのスペースインベーダーでほぼ確立されており、正に全てのゲームの礎、名機中の名機と言えるのである。

忘れられた名機 忘れられない迷機

名機と迷機

以前から語っている通り、私の個人的に考える名機の条件として最も重要視するのはインカム、つまりは売上である。

売上が全てだとは勿論言わない。
現状売上の良いゲームのシステムを延々なぞるだけではすぐに飽きられてしまうし、グラフィックやサウンド等の技術的な課題をクリアし、今までにない画期的なシステムを開発しなければゲーム業界の進歩はないのだ。
だがアーケードゲームの宿命として、どれ程画期的で技術的に優れていようが、グラフィックやサウンド等の演出効果が優れていようが、実際に売上の上がらないゲームは早々に店舗から消えてしまう事になる。
運営側からすればインカムの悪いゲームはけして名作たり得ないのである。

ここの所は運営側とプレイヤー側とで評価が異なる部分だ。
評価の基準は本来面白いゲームであることが大前提のはずだが、プレイヤー側はどうしてもグラフィック等の演出やストーリー性の高いゲーム、そして戦略性がありある程度遊べるゲーム等に重きを置きがちだ。
特に一時期、グラフィックやサウンド技術が飛躍的に良くなり、演出ばかりに注力するあまり肝心の内容が伴わないゲームが多く登場したものだが、ゲームマニア達はそのようなゲームでも高く評価していた。
皮肉な事にそういったゲームは上級者であるマニア達に繰り返しプレイされる事で回転率が悪くなりますますインカムが上がらず早々に消え去るのである。

ただそういった内容の薄い物ならともかく、不思議な事にゲームとして良く練り込まれていて面白いゲームなのにインカムがそれ程上がらなかったゲームもあれば、逆にどう見ても適当にと言うのは言い過ぎかもしれないがそれ程真剣に作られた感じはないのにインカムが良かったりするものもある。

そこの所がゲーム創作の難しいところなのだが、そういった面白いのに評価されなかったり、売れないのは解るが斬新な試みのいわゆる迷機や、インカムは良かったのに意外と当時話題に登らなかった名機の思い出を語ってみたいと思う。

勿論完成度が高く画期的で面白く、当然のようにインカムがあがった名機もあれば、正直箸にも棒にもかからない、どうしようもないのに何故か忘れられないような迷機も取り上げたいとは思うが、私の言う「迷機」とはあくまでも結果としてそれ程インカムが上がらなかった物を指すのでそのゲームが駄作という訳ではないという事、何分当時の私の記憶が頼りなので記憶違いや勘違いもあると思うのでその点はご了承いただきたい。

業界を変えたゲーム達(5) 対戦格闘ゲームの功罪

対戦格闘ゲームの功罪

私が業界から離れて久しいが、たまにゲームセンターに足を運ぶ度に感心するのが対戦格闘ゲームの息の長さである。
世代は変わったものの、20年以上たった現在でも今だにストリートファイターシリーズが稼働しているという状況は私の知っていたゲームの常識からはかけ離れたものである。

ストリートファイターに関してはまた別の機会に改めて語りたいと思うが、ここでは対戦格闘ゲーム、特に対戦台による格闘ゲームというジャンルについて語りたいと思う。

敢えて説明するまでも無いとは思うが、昔は対戦格闘ゲームは対戦相手の見えない対戦台というスタイルは存在せず、元々二人同時プレイである「ストリートファイターⅡ」(カプコン)から派生したものだ。

当時、ゲームの筐体がテーブルタイプからアップライトタイプ(正確に言うとアップライトとは本来は立って遊ぶ筐体を指すので、我々はミドルタイプと呼んでいたが)に移行していた頃、プレイスタイルは二人同時プレイの可能なゲームが多数を占める様になっていた。

ツインビー」(コナミ)に始まった二人が横に並んで同時にプレイするスタイルは基本的には協力プレイであり、点数やアイテムを競うことはあっても敵として対戦するタイプは希少であった。

考えてみれば当然の事であるが、いくら大型化したとは言っても筐体の幅くらいしかないスペースに大の大人が2人並んで座るのだ。
窮屈な事は勿論、それなりに仲の良い関係でなければなかなか受け入れられる状態ではない。ましてや全く知らない人間が突然横に座っていっしょにプレイする事などとてもではないが有り得ない状況である。

仮に知り合い同士でプレイするにしても、2人分でプレイ時間の延びる協力プレイはあっても、対戦して逆にプレイ時間の短くなる対戦プレイなど考えられない事だ。従って対戦ゲームと言えばサッカーや野球等のスポーツ系であり、決められた時間やイニングをプレイするものだったのである。

そういった訳で、知り合い同士でプレイする事でインカムが期待できるのは当然協力プレイという事になるので対戦プレイタイプはあまり作られなかったのだ。

ストリートファイターⅡ」も前作がアップライトスタイルでの対戦プレイであったことからその形を踏襲してはいたものの、当時では非常に珍しい途中乱入というスタイルであった。
しかも負けた方はその場でゲームオーバーというシビアなもので、下手をすればプレイ時間は2分にも満たない。

仲良く遊ぶにはあまりにメリットがないので、基本は1人でのプレイとなる事が多く、対戦プレイを見る機会は当初はあまりなかった。

ゲーム自体は1人プレイでも充分に面白かったので結構な期間高インカムを続けていたが、それでもプレイヤーの練度が上がってくるに従いプレイ時間が長くなり徐々にインカムは下がっていた。

逆にその頃から、コンピュータ相手では物足りなくなってきたプレイヤー達の対戦が増えて来ていたのも事実である。
ただし、それでも相手は仲の良いグループによる内輪での対戦に限られていた。

そこに登場したのがあるゲームセンターの店員が考案したという対戦台スタイルである。

仕組み自体は難しいものではない。
一組のゲーム基板の映像信号と2P側の操作信号の配線を向かいあったもう一台の筐体に繋いだだけである。
発想そのものはコロンブスの卵的なものだ。

実を言うと私もこの運用は考えない訳ではなかった。いや、恐らくは同じ様な事を考えた人間は他にもいたはずである。少しでも電気の知識があれば出来る事ではあるし、対戦の面白さは知っていたのでそれを生かす為の手段としてはアリだと思ってはいたのだ。

だが、それを実践しようとすると色々と不都合があった。その中のひとつは一組の基板から2台のモニターに映像信号を送ることでの基板への負担が不明だったこと、そして2P側の筐体の売上はどうカウントするかという管理上の問題だ。

私のいたメーカー直営店では、筐体と基板がセットでコンピュータ管理される。
売上データもその基板の売上として管理される訳だ。だが2P側の筐体には基板がないために管理上「ストリートファイターⅡ」として売上計上できないのだ。

結果としては、ダミーの別ゲームの基板で売上計上する事で解決する事にはなるのだが、どちらにしろ前例の無い状況を実行するだけのメリットを説明し、上を説得するには色々と面倒だったのである。

ともかく、前例と実績が確認された事でこのスタイルは一気に全国に広がった。
ストリートファイターⅡ」は息を吹き返し、通信対戦格闘ゲームのブームと共に再び爆発的なインカムを記録し続けたのである。

その後も、後発の対戦を前提とした格闘ゲームが続々登場し、今尚ゲームセンターの主流となり続ける事になったのだ。

対戦台というシステムの導入により全く知らないプレイヤー同士の対戦が可能となった格闘ゲームは、単純なインカムだけではなく様々な変化をもたらす事になる。

私が以前より語っていたゲーム制作者の抱えていた問題やジレンマをほぼ解決してしまったのだ。

様々なプレイヤーとの対戦は、それまでのコンピュータや知人相手の様な安定した難易度やパターンの攻撃ではなく、千差万別な攻撃パターンと難度でのプレイとなり、絶えず新鮮な刺激を与えてくれる様になった。
腕自慢にしてみれば自分の実力をスコアではなく直接優劣を計る機会でもあり、仮に負けてもそれはゲームの難易度ではなく自分の実力として納得できる。
また、乱入するハードルがグンと下がり面識がなくても対戦を申し込みやすくなった。そして逆に乱入される方としては仮に対戦する気がなくてもそれを拒む事はできなくなってしまったのである。
相手がコンピュータであればパターンも読みやすかったのである程度やりこめばそこそこ遊ぶことができたが、乱入される事で突然容赦なく難易度が跳ね上がる事になる。
下手をすれば瞬殺という事もあり得る訳で、通常であれば全クリアまで出来るプレイヤーが強制的にゲーム終了となる可能性もあるのだ。

要するに格闘ゲームは対戦相手をコンピュータから対人にすることで、それまでのシューティングゲームやアクションゲームの様なプレイヤーを飽きさせない為の面構成やプレイ時間を調整するための難易度調整という、インカムを上げるための最大の難関を必要としなくなったのだ。

制作側からすれば、面倒で地道な作業は無くなり、ただ登場するキャラクターの設定と動きを深く追求する事に専念できるようになった。
ゲームバランスはキャラクターの技の相性を調整する程度でも後はプレイヤー達が勝手に自分達で難易度調整してくれる、という作り手にとっては素晴らしい環境となったのである。

私は対戦格闘ゲームが主流となる事で、ゲームセンター自体も様変わりしていったと思っている。

私の知る限り、それまでのゲームセンターでは学生客にしろ一般客にしろ、何か特定のゲームを目的で来店する客は意外に少なかった。

勿論目当てのゲーム、お気に入りのゲームは必ずプレイするが、とりあえずは新製品がないかどうかを確認し、もしあればとりあえずはプレイしていたものである。

じっくりと説明書を読み、初心者なりの遊び方で少しづつ上達する余地が当時はまだあったと思う。

もう一つ、この新製品がマニア向けゲームの場合、稼働当初はマニア達に独占される事で一般客が手を出せず、マニアが飽きた頃には逆に新製品としての魅力も無くなるので結果インカムが上がらず早々に消えてしまう。
そうやって一般向け、初心者向けのゲームがある程度の種類が確保されつつ、うまく回転し続けていたのだ。

だが、対戦格闘ゲームは腕に自信のない一般プレイヤーを完全に排除する事になってしまった。

初心者がじっくりとプレイする時間を与えてくれないのだ。

1面の簡単な所でモタモタしようものならすかさず乱入されて訳が判らぬうちに終わってしまう。

余裕のある店では練習用、初心者用として1人プレイ専用台を用意してあったりするが、当然人気台のことである。対戦の練習用に独占するプレイヤーも多く、とてもではないが一般客が落ち着いて出来る環境にはならないものだ。

横ではハイレベルな争いが繰り返されており、一般客や初心者はその様を見るだけで対戦参加を諦める事になってしまう様になってしまった。

しかも通常のマニア向けゲームならすぐに消えてしまうが、対戦格闘台はマニアが集まれば集まるほどその店は難易度とインカムが上がる事になる。
当然、インカムが下がらないのならそのゲームは長く設置され続け、ますます上級者と初心者の差が開いていく事になるのである。

その結果、店内はいつ来ても変わり映えのしない機種構成となり、ふらりとやって来る一般客はいなくなってしまったのではないかというのが私の持論だ。

もう一つ、インカムには関係無いが格闘ゲームの登場で変わったものがある。
それはゲームミュージックである。

それまで、ゲームにはそのゲームを象徴する様なゲームミュージックが大抵ひとつはあったはずだが、対戦格闘ゲームには印象に残るサウンドが殆ど無い。

それは好きなキャラクターをゲーム開始時に選ぶため、シューティングゲームのオープニングファンファーレの様な開始時に必ず流れる音楽というのが存在しないためだ。

キャラクター毎にテーマ曲はあるかもしれないが、キャラクターを変えれば当然曲も変わるのだからそのゲームを象徴する音楽にはなりにくいのである。

どうだろうか。

対戦格闘ゲームはそれまでのゲームの常識をことごとく覆していき、そしてゲーム制作の在り方を根底から変えてしまったのである。それは勿論インカムも含めて素晴らしい点は多々あったが、逆にゲーム制作会社、そしてゲームセンターの停滞にも繋がったのではないかと私は考えるのである。

今、入口のクレーンゲームには一般客は見かけても、ビデオゲームの辺りにはほぼ常連しかいないのではないだろうか。

少なくとも現在ほぼ初心者に等しい私では、新しいゲームにお金を入れる勇気はない。
それは私の考え過ぎで家庭用ゲームの進歩が最大の原因なのかもしれない。
だが家庭用ゲームは既に対戦格闘ゲームから脱却しつつあるのだ。
そろそろ、対戦格闘ゲームがもたらした功罪をもう一度考え、新しい風を吹き込んでもらいたいと私は思うのだ。

業界を変えたゲーム達(4) 記憶に残るクレーンゲームの中のぬいぐるみ

閑話 記憶に残るぬいぐるみ

クレーンゲームの話が出たところで当時のキャラクターぬいぐるみについて少しだけ語っておこう。

今回、この話を扱うにあたって一応調べてみたのだが、意外な事に当時のぬいぐるみについての資料というものは殆ど見当たらなかった。
中古販売などで名指しで検索してやっとヒットする位で、どのようなキャラが商品化された等といった資料が出てこないのだ。

あの一大ムーブメントを巻き起こしたバンプレストですら、最新情報はあっても過去の商品ラインアップについての記述がないというのも寂しい限りだが、とにかく今回は本当に私の記憶だけがたよりというわけだ。
とは言うものの、私としても既に30年近く前の話である。
ゲーム機ならともかく、下手をすれば1回しか入荷しなかったぬいぐるみも含めて全て思い出すのは不可能だ。
なので当時人気があり記憶に残っているぬいぐるみに限ることにする。
曖昧な記憶だがそこはご容赦願いたい。

キャラクターぬいぐるみの殆どはバンプレスト製であり、ほぼ独占状態だった。
そこは多くの子供番組のスポンサーであるバンダイの子会社なのだから当然といえば当然のことだが、持っている版権は豊富ではあるものの基本的には一昔前のキャラがメインであった。
販売用として商品化するにはやや時代遅れであり、確かに景品位でしか使い道はなかったのかもしれない。

だが、これは狙ったのか偶然なのかはともかく、その頃のクレーンゲームの主な客層であった一般サラリーマン層のツボにガッチリとハマったのだ。
中でも「世界名作劇場」のキャラ、特に「フランダースの犬」のパトラッシュや「母をたずねて三千里」のアメディオ、「あらいぐまラスカル」のラスカルなど、物語を代表するマスコット達はその愛らしさとキャラの再現性から大人気であった。
対象となる年齢層も幅広く、老若男女に広く愛されたヒット商品である。

他にも「ムーミン」「ハクション大魔王」「うる星やつら」「ゲゲゲの鬼太郎」等の知名度の高さから人気のキャラも多く、買うほどではないが景品としてなら是非とも欲しい、といった絶妙なぬいぐるみが多かった。
まあ正直、ぬいぐるみとしての商品化には作品によって向き不向きがあるので必ずしもヒットしたアニメのぬいぐるみが人気となるとは限らないが、とにかくバンプレストは持っていたキャラを片っ端から商品化していた感はある。
全体に作りが少し安っぽいので目玉おやじの様なあまりにシンプルなデザインだと微妙な感じに仕上がってしまったのが残念だったがそういったキャラでもそこそこ人気があったのが不思議だったものである。

そんな中でも最も人気だったのは当時の人気アニメ「セーラームーン」シリーズであろう。
その頃は既に第二期が放送されており、知名度抜群の現役キャラである。子供達若年層は勿論、所謂“大人のお友達”も目の色を変えてプレイしていたのを覚えている。
またお父さん達にも知名度が高く、子供の為に頑張っていたのが実に微笑ましかった。

逆に、意外に不評だったのが「仮面ライダー」「ウルトラマン」「マジンガーZ」「ガッチャマン」等の正統派ヒーロー達である。

どのキャラもかわいい2等身にするには無理があったが、特に仮面ライダー1号等は目玉おやじ同様その極めてシンプルなデザインが災いし、ぬいぐるみ化する事でまるで子供の落書きの様なチープさが際立ってしまったのだ。
またウルトラマンの場合は当時既にデフォルメ化したぬいぐるみが販売されており、目新しさに欠ける上その劣化版の様な安物感が目立ってしまった。

バンプレスト以外のメーカーにも目を向けてみたいが、他にキャラの版権を持ったメーカーはほほ皆無である。セガから自社提供のアニメ「紅い光弾ジリオン」のぬいぐるみが出たらしいが残念ながら私は見る機会がなかった。
唯一大人気となったのがタイトー製の「クレヨンしんちゃん」である。

当時クレヨンしんちゃんはアニメ化されて話題にはなっていたものの、まだ大ブレイクする寸前のタイミングであった。

先にも書いたが東映アニメーション等多くのアニメ番組のスポンサーとして版権を持つバンダイの子会社であるバンプレストも、シンエイ動画作品であるクレヨンしんちゃんの版権は持っていなかった。そこに目を付けたのがタイトー、というわけである。

これはタイトーの担当者の大ファインプレーであろう。

タイトー初のキャラクター物と言う事で力が入っていたのがよく解るが、贔屓目なしに非常にクオリティーの高いぬいぐるみであった。

キャラクターの再現性が高いのは勿論の事、素材は市販のぬいぐるみで使われる様な毛皮フェルトのふわふわした材質を使用し、大きさもバンプレスト製よりも大きめに作られていた。
前回私が指摘したクレーンゲーム向けのぬいぐるみとしての条件をしっかりと考慮してあり、そこはさすがクレーンゲームのメーカーとしての面目躍如といったところだ。

残念な事に固さはそれなりにあり、重心のバランスが良すぎてバンプレスト製以上に取りやすいという点だけは残ってしまった。
だが逆にアームの設定で難易度の上がってしまったクレーンゲームにあっては久々の初心者向けアイテムということでプレイヤー達の評判も実に良かった。同じ型のしんちゃんのぬいぐるみを何個も狙っているプレイヤーもおり、ゲームとして楽しめる景品であったともいえよう。
何故か当時はそれ以降タイトー製のキャラクターぬいぐるみが出る事はなかったが、もしそのままアニメ作品等のスポンサーになりハイクオリティーな景品を出し続けていたらクレーンゲームもアニメ業界ももう少し違ったものになったかも、などと有り得ない妄想をしてみたりするのだ。
あれ程の大ブームとなりながら、皆に忘れ去られてしまった当時のキャラクターぬいぐるみ達。
誰かその歴史を掘り下げてくれるような奇特な人はいないものかと勝手ながら願うのである。

業界を変えたゲーム達(3) クレーンゲームで変わったもの

クレーンゲームで変わったもの

今、街を歩くとゲームセンターの入口には必ずと言っていいほどクレーンゲームが設置してあるのを見かける。
下手をすれば店内がほぼクレーンゲームや景品落としの類で占められている事も珍しくなくなった。
一時期プリクラに占領された事もあったが再びクレーンゲームの天下のようである。

クレーンゲームや景品落としはゲームセンターの存在する前から存在する古いタイプのゲームだ。
ウィキペディアによると1965年には現在の物に近い電動のクレーンゲーム(タイトー製)が既に存在していたとの事だ。
私も幼少の頃にプレイした記憶はあるが、その頃の景品はぬいぐるみの類ではなくカプセルの中に小さな玩具やキャラメルが入っていたと思う。台は低く、上から覗き込むタイプであり、デパート等の遊戯場ではよく見かけていた。
景品が子供だましだったこともあり、ビデオゲーム中心のゲームセンターで見かけることはなかったと思う。

クレーンゲームが再び脚光を浴びるようになったのは1985年に「UFOキャッチャー」(セガ)が稼働し始めてからである。

それまでの上から覗き込むタイプから大型化して目線が高くなり、大人も遊べるスタイルとなったのが功を奏した。
ショッピングセンター等の子供向けの遊戯施設だけでなく、ゲームセンターの店頭でも見られる様になっていったのである。

「UFOキャッチャー」は数年後一大ブームを巻き起こし、クレーンゲームの代名詞と呼ばれるまでになるのだが、当初はそれ程インカムは良くなかったらしい。
その頃の景品を見た記憶がないので明言は出来ないがやはり景品はカプセル入りの玩具だったそうである。

売上が上がり始めるきっかけとなったのは景品にぬいぐるみが使われるようになってからだ。
当初のぬいぐるみは他愛もない動物等のものであり、見るからに安物であった。

では景品に魅力があまり無いことに違いはないのに何故売上が上がる様になったのだろうか。

実は風営法の関係で、景品の値段には上限が設けられている。(今は上限はかなり上がっているらしいが、当時は1個200円とかなり少額だった)
同様の値段で考えた時に、プラスチック製の玩具等よりぬいぐるみの方が容量があり、お得感があるという点が大きいだろう。

ただ、私自身は単純にお得感というだけでなく、何よりもぬいぐるみがクレーンゲームの景品として最適な条件を揃えており、ゲームとしての面白さを最大限に引き上げた功労者である、という事をもっと強調しておきたいのだ。

ぬいぐるみは不定形であり、ふわふわとした材質なのでクレーンのアームで掴みやすく、重心がまちまちの為に攻略法も様々でゲーム性も向上する。
カプセルや箱型だとどうしても難度は上がるし、見た目でも取りにくいのが判るため、取っ付きにくいのだ。
見た目の軽いぬいぐるみならば初心者でも取れそうな期待感があるので最初のお金を投入しやすいのである。

実際に取れやすいかどうかは問題ではない。
要は取れやすそうだとプレイヤーに思わせる事が重要なのだ。

1度プレイしてみて取れなかったとしても、期待感が残っていれば次こそはと何度も挑戦する事になる。ある程度投資すると今度は諦めるのが惜しくなり、ますます熱くなっていく、という具合だ。

1回のプレイ時間の短さと相まって効率的にインカムを稼ぐ事が出来るクレーンゲームの特性が最大限に生かされる事になるのである。

我々運営側としても容量が大きく不定形なぬいぐるみは取れやすさを演出するのに大変都合が良かった。

元々平らな景品スペースに雛壇を作り、ぬいぐるみを景品の落とし口よりも高くなる様に山と積んでみたりもした。軽く引っ掛けただけでも転がり落ちる位に難度を下げることも出来たのだ。

特にまだぬいぐるみそのものにそれ程の付加価値がなかった頃は取れやすさを強調した演出は不可欠であった。
絶えず状況を確認ながらぬいぐるみを補充、配置直し直すのがインカムに大きく影響したので、結構重要な仕事であった。

この景品の補充という店員の仕事は、更にお客様とのコミュニケーションツールとして有効に作用する事にもなる。

たまにお金を注ぎ込んだお客様が店員にもっと取れやすくしてくれと交渉している姿を見かけた人もいると思うが、ちゃんとした店ならば案外素直に対応してくれたはずである。
意外に思われるかも知れないがこれは我々店員側にとってもそれ程不愉快という訳でもなく、逆に有難い事だったりする。

ぬいぐるみを補充したり配置を直すタイミングというのは意外に難しい。
通常は客足が途切れた時に補充するのだが、混雑時はプレイ中だったり、両替で少しだけ離れている場合もあり、下手に手を入れられない事も多い。
景品が少ないとギャラリーも盛り上がらないのでまめに補充したいところだが、それが逆に興を削がれる場合もあるのでどうしても遠慮がちになるのだ。
それに、こちらとしてもどうせならお金を使ってくれたプレイヤーに喜んでもらいたいのが人情というものだ。どの程度頑張っていたのかは大体把握しているので、諦めかけて補充や配置を直してほしいといった要望には出来るだけ答えたいものなのである。

客観的に見れば、1個200円のぬいぐるみに数百円、下手をすれば数千円も投資するのは馬鹿馬鹿しいと思う人もいるだろう。
だが、プレイヤーにしてみればこの頃の景品は最終目的ではなく、あくまでもゲームで熱く遊んだ結果としてのご褒美でしかないのだ。こちらとしても、その頃のぬいぐるみは出来るだけ取ってもらおうとしていたのでお互いに良い関係だった様に思う。

だが、そこにクレーンゲームの大ブームを巻き起こし、また我々の関係に微妙な変化が起きるきっかけとなったぬいぐるみが登場する事になる。

バンプレスト」によるキャラクターぬいぐるみである。

多くの漫画やアニメのキャラクター権を持つバンプレストはその豊富なキャラクターを活かしたぬいぐるみを次々と登場させていった。
2等身にデフォルメされたキャラクター達はその強烈な魅力でそれまでの他愛もない動物ぬいぐるみをたちまち駆逐してしまったのである。

当時も人気の「セーラームーン」から一般層を意識した「うる星やつら」「マジンガーZ」「世界名作劇場」等、幅広く戦略のしっかりとしたバンプレストの景品群は見事と言う他ない。
勿論プレイヤー側にしても、通常の景品よりもメジャーであり「欲しい」景品の方がよりモチベーションが上がるのは当然のことだ。

クレーンゲームのインカムは景品がキャラクターぬいぐるみに変わった途端に爆発的に跳ね上がり、先に言った一大ブームに繋がっていった。

運営側としても、そして当時の私もこの状況を大歓迎した。
やはり様々な工夫をしていたとは言え魅力の無い景品には徐々に限界を感じていた頃である。
インカムは勿論、キャラぬいぐるみを補充した時の目の色を変えるプレイヤー達の様子を見ている我々としてもやはり要望には答えたい、という意識が強く働いたからだ。

ただし、多くのメリットの裏側で先に語った微妙な変化が起こることになる。

バンプレストの景品はキャラクターを良く再現しており、商品としては実に完成度が高かった。

ただ当然の様に版権、そして商品価値の関係から仕入れ単価はそれまでのぬいぐるみに比べてどうしても高額になるのだ。

更に基本フェルト素材でやや固めのぬいぐるみは、大きさもやや小ぶりで容量が増やし難く、かなり多めに入れないとスカスカな印象になりがちだった。
しかも以前の柔らかくて掴みどころのないぬいぐるみよりも取れやすそう、と言うよりも本当に取りやすかったのである。

いくらインカムが良いとは言え、経費の増加は勿論運営を圧迫する。
いや、利益は充分あるのだがそういうイメージを植え付けたと言うべきか。
以前のローコストな景品と比べ売上と共に凄まじい勢いで減っていく景品に余計な不安を感じた運営は多かったはずだ。
更には、あまりの人気にバンプレストの景品は慢性的な品薄状態になったのである。

予算の潤沢な店舗はともかく、そうでもない店舗としては、希少な景品をプレイヤーにそう簡単に渡す訳にはいかなくなった。

その結果、景品の置き方は平坦になり、アームのバネは弱くなり、アームの先は3本爪から丸い物へと変わっていったのである。
良心的な店舗では以前の安い景品でかさ上げする等、取れやすさは多少演出したものの、どうしても難度は以前よりは上がることになったのだ。

ブームにより様々なテクニックも開発され、そんな条件下でも景品を取ることができる猛者も多数現れた。

プレイヤーはお目当ての景品を取るため配置のスキを探り、店舗側は演出はしても基本的には取らせない配置を探る様になっていったのである。

そして現在、景品の単価は規制緩和されて跳ね上がり、美麗なフィギュアや巨大なぬいぐるみ、挙句はラジコンやドローン、モバイルバッテリーなどの見るからに取得欲求をそそる物がクレーンゲームの主役となった。

クレーンゲームと最高に相性の良かった手頃なサイズのぬいぐるみは姿を消し、どうにも取れそうにない箱入りの景品達が平置きで申し訳程度に小さなリングだけ付けて座っている様になった。

景品はますます取られたくないものになり、攻略法は複数回プレイして落とす事が前提のより高度なものとなった。

今でも変わらず取れやすさやその演出は店舗によってまちまちだ。
良心的に、または期待感を持たせる様に上手く工夫されている店舗もある一方、見た目にも取れそうにない演出の下手な店や、酷い店では絶対に取られないようにリング部分がアームの届かない所にセットされている悪質なものもある。

どちらにしろ、最近私が見る限りワンプレイで取れるような台を見ることは無い。

もうすでに本当の意味での初心者向けクレーンゲームは存在しなくなってしまったのかもしれない。

逆に考えれば、昔ながらのぬいぐるみを復活させてクレーンゲーム本来の面白さを再認識させても良い頃ではないかと私は思うのだ。