デンキ屋が20年前に語りたかったゲームセンターの話

現在電気屋の筆者がゲーム業界にいた頃の体験から語るゲームセンターとアーケードゲームの話。基本的には当時の記憶が頼りなので多少の間違いは大目に見てください。

忘れられない名機「スペースインベーダー」

現在のアーケードゲームを確立した名機

第一回目として取り上げるのはやはりこれしかあるまい。

現在のゲームセンターのスタイルを確立するきっかけとなったゲームであり、今だタイトーの顔として君臨するレジェンドたる名機である。

1978年に登場した当時、九州の田舎町ではゲームのプレイ料金は大体30円位で、まだ中学生だった私にはワンプレイ100円という料金設定はまだハードルが高かったため、私自身はそれ程ハマったわけでも特別な想い入れがあった訳でもない。

実際にインベーダーの凄さを実感したのはこの業界に入ってから先輩から聞いた数々の逸話だ。

現在のゲーム筐体はミドルタイプが主流だが、当時はテーブルタイプが殆どを締めていた。
これは元々喫茶店のテーブルの代わりに設置する事が目的だったためだ。
昔はテーブルの上にピーナッツや星占いの小さな販売機が置いてあったのを憶えている人もいるとは思うが、つまりはそういったちょっとした隙間での商売の延長だったのである。

私が業界に入りたての頃はまだ主流はテーブルタイプであり、その中でも製造時期によって数種類のテーブルタイプが稼働していたが、最も古いタイプはインベーダーが実際に稼働していた頃の台もまだ残っていた。

後期の台に比べ、やたらに頑丈で重い印象はあったが、それは盗難防止の為わざと重く作っていたという話もある。もうひとつ特徴的だったのがキャッシュボックス、つまりは100円玉が入る箱の大きさの違いだ。
現在の筐体のキャッシュボックスは100円玉計算で大体10万円から最大でも15万円弱位の容量だ。これは当時のテーブルタイプでも同じ位なのだが、初期の台はとにかく大きかった。
正確に測ったわけではないが、25万円から30万円前後は入る大きさだったと思う。

ゲームセンターでの業務のひとつに集金、つまり定期的にゲーム機のお金を回収するというのがあり、店舗の規模や売上によって数日から半月のペースで各ゲーム機からお金を回収する。

勿論、ある程度貯まるのを見計らって回収期間を決めるわけだが、大抵は人気のゲームでも半分貯まっていれば良い方だ。なので古い筐体のキャッシュボックスが何故無駄に大きいのかと不思議だったのだが、昔を知る人の話ではインベーダー全盛の頃はそれが一晩で溢れて詰まってしまっていたそうだ。
それも1台の話ではなく設置してある全ての台がそうなのだから喫茶店が最早ゲーム筐体を置くだけのゲームセンターと化したのも当然と言えば当然の話である。

他にも品薄のインベーダーゲームを求めて海老名の工場にアタッシュケースに札束を詰めて直接買い付けに来ていたとか、基板製作の為に電子部品をタイトーが買い占めてしまい、他の電子機器メーカーにかなり恨まれていたとか、インベーダーの売上だけで千代田区の超一等地に自社ビルを建てたとか色々な話は伝説として語られていた。
ゲームセンターという業態を確立し、レンタルによる営業や直営店といった運営方法が出来上がったのもこの頃からであり、ソフトウェアの著作権が初めて認められたのもこのゲームだ。
スペースインベーダーは正に日本中を「侵略」し、様々な変革を日本中に起こしたのである。

実質的なブームは1年程度だった筈だが、アーケードゲーム全盛期でも新製品が好調を維持できるのは3ヶ月程度だったことを考えればそれ程の長期間インベーダーのみのゲームセンターで運営が成り立つ事自体が今では考えられない異常なブームであった事を物語っている。

スペースインベーダーが日本を侵略できた本当の要因

スペースインベーダーはなぜこれほどのブームを巻き起こしたのだろうか。

理由として巷で言われているのはそれまで大体3分程度の定時間制が主だった時代に残機制を取り入れ、上手くなればいつまでも遊べる様にした事、それまで一方的に攻撃してそのポイントを競っていたのが敵が反撃する様になり緊張感が増した事等がよく挙げられている。

確かにその2点によって緊張感と射幸性が大幅に増したのは間違いないだろう。
私も子供の頃遊んでいたゲームと言えば的当てやドライブゲームの類で、それもビデオゲームでは無く機械的な物ばかりだ。それはそれで趣きもあったし知恵を絞った良作ばかりではあったが、緊張感や熱中度はそれ程では無く、ましてやそのゲームをプレイするために通うというようなことは考えられなかった。

テレビ画面を使ったゲームでも基本的には射的であり、こちらから一方的に攻撃するだけで敵が反撃してくるゲームというのはそれ以前にはなかった筈だ。
モニターに写したデジタルな画像で自機を操作できるビデオゲームと呼べるゲーム自体が非常に斬新で、それだけでもブームを巻き起こす要素は持っていたと言えるのだ。

その頃には既にビデオゲームの元祖としてブロック崩しが存在しており、そちらも大人気だったらしい。
スペースインベーダー自体がブロック崩しを参考に開発されたのは有名な話だが、確かに画面構成はよく似ている。何より残機制で上達することでプレイ時間が長くなる事も同じだ。

ビデオゲームとしての斬新さや射幸性、緊張感等こちらも名機と呼べる出来である事を考えれば、こちらが先にブームになっていても良さそうなものだが、後発のスペースインベーダーがこれ程爆発的に売れたのは何故だろうか。
勿論先に挙げた理由が一番大きいのだろうが、インベーダーには他にも後のゲームの先駆けとなった画期的な要因がいくつか見出すことができるのだ。

ひとつはその後のゲームで普通に見られるその操作方法である。
2方向のレバーにワンボタンという今ではこれ以上ないほどのシンプルな操作性であり、何を今更と思うかもしれないがこれでも当時のゲーム初心者にはこれくらいでなければ難し過ぎたのではないだろうか。
昔はレバーといっしょに体を左右に振りながらプレイしていた人も多かったのを憶えている。

ブロック崩しもダイヤルひとつで操作方法自体は簡単だと思われがちだが、当時のゲームはアナログ操作の微妙な力加減が必要な物が多く、ブロック崩しもパドルの操作感覚は意外に難しい。
しかも落ちてくる球を受け損なえばあっさりワンミスという、ゲームを維持する基本の条件が難しいのだ。
インベーダーの場合、最終的には侵略されれば終わりとは言え、基本的には敵の弾丸に当たらなければワンミスにはならない。
取っ掛かりとしてのハードルは非常に低く、操作がデジタルな分扱いは更に簡単になるのだ。

そして敵を撃破すること自体は非常に簡単にできている事も大きな要因である。
これもまた何を今更といった感じではあるが、敵に正対して弾丸を撃つだけというこれ以上無い簡単さだ。照準を合わせる際、特に意識する必要もなく攻撃が可能で、しかも敵は縦に並んでいるのでたて続けに撃破する快感が得られやすい。
基本となる攻防自体は簡単な操作性だからこそ敵の攻撃を回避しながら多数の敵を倒す快感を堪能することができるのだ。

ゲームを象徴するキャラクターデザインとサウンドも忘れてはいけない。
正直、デザインは今の感覚から考えれば恐ろしく単純で拙いものだ。それに当時の技術ではこの位シンプルな物しか作れなかったのでそこはやむを得ないところである。
だが、逆に制約の多い分極限まで無駄を削り落とした究極のデザインと言え、敵ながら何処か憎めないインベーダーのデザインは実に印象深かった。

逆に主人公である筈の自機たる砲台は味も素っ気もないデザインだ。
現代ならばメインキャラである自機デザインはかなり力の入ったものになるはずだが、プレイヤーが集中して見ているのは敵であるインベーダーであり、自機を見るのはやられた瞬間位である。
そう考えれば単純な自機デザインも納得のプロの仕事なのだ。

サウンドはビープ音の組み合わせ程度しか無い条件の中、プレイヤー側の高音の発射音と敵をプチっと潰した様なコミカルな音、それに対して集団で足並みを揃えるような低音の侵略者の足音の対比と組み合わせはメリハリと敵味方の構図がはっきりしており、シンプルだからこそしっかりした印象を残すことに成功しているのである。

ブームになったからこそではあるが、ゲームを象徴するキャラとサウンドが未だに世間に認知されるような個性として確立出来たのは勿論このゲームが最初であろう。

その後のゲームの方向性を決めた解りやすい戦略性

私がそれ以前のゲームと決定的に違っていたと思うのが戦略性という新しい楽しみ方だ。

まず画面構成を見て気付くのが自機の前に並ぶトーチカと呼ばれる敵の弾丸を防ぐ壁の存在である。
インベーダー以外のシューティングゲームではまず見ることの無いトーチカの存在。
私はこの存在がゲーム性を高める上で非常に重要なアイテムであったと考える。

単純に安全地帯という面もあるが、逆に敵を攻撃するためにはトーチカから出なければならない。この攻撃と防御という相反した効果のアイテムの使い方が攻略の鍵となるのだ。
例えば影から一瞬だけ出て撃って隠れる、トーチカの真ん中を撃ち抜いてその隙間から攻撃するといった敵との駆け引きがソロで簡単に味わえるのである。

実はこの「敵との駆け引き」こそがそれまでのゲームには無かったビデオゲームならではの面白さなのだ。

それまでのゲームにおけるソロプレイと言えば、プレイヤー自身の反射神経や操作の正確さ自体を競うものが主であり、相手との駆け引きはエアーホッケー等の対人でプレイするものに限られていた。

駆け引きと言うには単純過ぎるのは確かだが、スペースインベーダーのトーチカはそれまでの反射神経を競うだけの単純なシステムに、本来は対人でしかできなかった敵との駆け引きを感じられる遊びを加える事に成功したのである。

余談だが、インベーダー以前にも障害物があって敵との駆け引きが楽しめる「ウェスタンガン」というビデオゲームが1975年に既に登場している。
これはガンマン2人がサボテンや岩の障害物を利用しながら撃ち合うという内容なのだが、残念ながらこれは2人プレイ専用でありソロプレイ自体ができない。私も知らずに一度だけプレイしたのだが、相手が動かずがっかりした記憶がある。
これも製造元はタイトーであり、開発者もスペースインベーダーの開発で知られる西角友宏氏である。
その事を考えればブロック崩しウェスタンガンを元にしてスペースインベーダーが誕生したと言えるのではないだろうか。

更に注目すべきは意外に思われるかもしれないが整然と並んだ敵の配置だ。
普通に考えれば、もっとランダムに配置した方がシューティングゲームらしい筈である。

もしかすると技術的な制約できちんと並べざるを得なかったのかもしれないが、この配置は敵の動くパターンが実に読みやすい。
初めてインベーダーをプレイした人は大抵の場合ランダムに、下の方にいる敵から攻撃しているはずだ。
そして徐々に端の列から順番に消していった方が効率的で時間的に余裕がでやすいことに気付くはずだ。

この攻略パターンというものが登場したことこそがインベーダーのリピーターを生む原動力となったのではないかと思うのだ。

攻略パターンを会得する事で楽にクリア出来る様になるという事は、プレイ時間を伸ばしインカムを減らすという弊害はあるが知識である程度上達する事が出来るということだ。

つまり、それまでの反射神経依存のゲームではなかなか先に進めなかった初心者プレイヤーでも戦略次第で先に進める、次回はもっと上達できるという期待感からリピートしやすい、つまりは持続性を高める事に成功したのである。

今の基準で考えれば攻略パターンは単純明快で非常に解りやすいのだが、当時の一般プレイヤー達にしてみれば実にいい塩梅で絶妙なゲームバランスであった。

元々のゲーム本来の反射神経、正確さを競う楽しさに加え、簡単な操作による取っ付き易さ、障害物の利用による敵との駆け引き、そして攻略パターンによる初心者向けの分かりやすい戦略性といった様々な要因が実にバランス良く融合した結果、あれ程の大ブームとなったのではないかと思うのである。
今日の名機と呼ばれる様なゲームの要素は既にこのスペースインベーダーでほぼ確立されており、正に全てのゲームの礎、名機中の名機と言えるのである。