イメージ以上に名作が多い不思議なメーカー 当時のタイトーという会社は実に不思議なゲームメーカーだったと思う。 勿論「スペースインベーダー」を産み出した老舗でもあるし、業界内では最大手と言っても良いメーカーである。 ただ、正直ゲーマーからの評価…
新たな意味でゲームキャラクターを確立させた意欲作だが 私の中で忘れられない迷機と言えば最初に思い浮かべるのがナムコの「源平討魔伝」だ。 ゲームファンならば恐らく知らない人はいないであろうし、あれはどう見ても「名機」でしょ?という人がほとんど…
現在のアーケードゲームを確立した名機 第一回目として取り上げるのはやはりこれしかあるまい。現在のゲームセンターのスタイルを確立するきっかけとなったゲームであり、今だタイトーの顔として君臨するレジェンドたる名機である。1978年に登場した当時、九…
名機と迷機 以前から語っている通り、私の個人的に考える名機の条件として最も重要視するのはインカム、つまりは売上である。売上が全てだとは勿論言わない。 現状売上の良いゲームのシステムを延々なぞるだけではすぐに飽きられてしまうし、グラフィックや…
対戦格闘ゲームの功罪 私が業界から離れて久しいが、たまにゲームセンターに足を運ぶ度に感心するのが対戦格闘ゲームの息の長さである。 世代は変わったものの、20年以上たった現在でも今だにストリートファイターシリーズが稼働しているという状況は私の知…
閑話 記憶に残るぬいぐるみ クレーンゲームの話が出たところで当時のキャラクターぬいぐるみについて少しだけ語っておこう。今回、この話を扱うにあたって一応調べてみたのだが、意外な事に当時のぬいぐるみについての資料というものは殆ど見当たらなかった…
クレーンゲームで変わったもの 今、街を歩くとゲームセンターの入口には必ずと言っていいほどクレーンゲームが設置してあるのを見かける。 下手をすれば店内がほぼクレーンゲームや景品落としの類で占められている事も珍しくなくなった。 一時期プリクラに占…
メダルゲームが変えたもの 最近ではすっかり見る機会の減ったメダルゲームだが、私のいた1990年頃は丁度ゲームセンターからアミューズメントスペースへの変化を模索していた頃で、その一環として各店に導入され始めていた。 繁華街の店舗が中心であったが、…
業界の運営を変えたゲーム ゲーム業界にとって、登場がきっかけとなりその後に強く影響を与えたゲームというものがいくつか存在する。それは体感ゲームであったり、メダルゲームであったり、クレーンゲームであったり、私が業界を去った後もプリクラの登場等…
閑話 個人的に大好きなゲームミュージックの話(2) 閑話のつもりが随分長い話になってしまったが、個人的に好きなゲームミュージックについてもう少し語っておきたい。ゲームミュージックが成熟していく過程で特に急激な進化を遂げたのはセガではなかったかと…
閑話 個人的に大好きなゲームミュージックの話 せっかくゲーム音の話が出たので、個人的な趣味としてのゲームミュージックについても語っておこう。ただ、先に断っておくが私は音楽に関して全くの素人である。音楽的な良し悪しも、楽器やハードの技術につい…
実は名機に欠かせないゲーム音 昔熱中したゲームを思い出す時、最初に頭に思い浮かぶシーンは何であろうか。 勿論ゲーム画面、特に開始画面が多いはずであるが、その時には同時にゲーム音が頭の中に鳴り響いたはずである。ゲームの内容自体は思い出せなくて…
ゲームバランスの難しさ 長い前置きとなったが、プレイ時間が短くともプレイヤーを集中させる事で満足させることは充分可能だと思う。勿論、それが簡単に出来るならば苦労はない訳で、ゲームバランスの優れたゲームを作り出すのは至難の業であるということも…
プレイ時間と満足度 アーケードゲームに求められる要素とコンシューマゲームで求められる要素には決定的に違う点がある。 それはもちろんインカムに絡む部分ということであるが、1回のプレイにおけるプレイ時間とその満足度である。 前にも語ったことである…
インカムとセオリーとジンクス ゲームのインカムが上がるための要素として私が挙げた独自性、持続性、希少性であるが、全てのバランスがとれず名機とまでは呼べなかったとしても、インカムの良いゲームには必ずどれかの要素に優れた部分がある。これは私自身…
売上を左右する要素 前回、私の考えるアーケードゲームにおける「名機」とは、独自性、持続性、希少性等の絶妙なバランスによって、結果として爆発的、又は数カ月に渡る安定的なインカムを稼ぐことの出来たゲームである、とした。そう、「結果として」だ。メ…
アーケードゲームの最盛期 私がゲーム業界にいた1980年代は、アーケードゲームが最も進化、成長していた時期だと思う。グラフィックやサウンド技術が向上し、それなりに味はあるものの、いかにもドット絵丸出しなゲーム画面から、映像作品と呼んでも良い程の…
ゲーセンの思い出 いきなり個人的な話だが、1984~1994の10年間、私はとあるゲーム会社で働いていた。入社当時、製造、開発を希望していた私は、研修で半年ほど川崎にあった開発部門と海老名にある工場に配属されていた。本来ならそのままどちらかに配属され…