デンキ屋が20年前に語りたかったゲームセンターの話

現在電気屋の筆者がゲーム業界にいた頃の体験から語るゲームセンターとアーケードゲームの話。基本的には当時の記憶が頼りなので多少の間違いは大目に見てください。

忘れられない迷機 「源平討魔伝」

新たな意味でゲームキャラクターを確立させた意欲作だが

私の中で忘れられない迷機と言えば最初に思い浮かべるのがナムコの「源平討魔伝」だ。
ゲームファンならば恐らく知らない人はいないであろうし、あれはどう見ても「名機」でしょ?という人がほとんどではないだろうか。
当時としてはかなり珍しかった日本刀を使った和風テイストのアクションゲームであり、恐らく初の格闘ゲーム並の大きさのメインキャラが登場したゲームである。

このゲームの特徴的なところは、ゲーム内容自体よりも独特の世界観を体感して楽しむ事に重点を置いたスタイルであるという点だ。

大抵の場合、ゲームは基本となるゲームの操作やクリア条件、ゲームオーバーの条件、そして何よりゲームの売りとなる要素と言ったゲームシステムの組み立てからスタートする。
そのゲームの何が面白くて、何が新しいのかが明確で無ければ責任者を説得して開発にゴーをかけることができないからだ。

だが、この「源平討魔伝」は巨大なキャラのアクションという画期的な部分はあるものの、ゲーム内容自体には特別売りと呼べるようなものがない。
確かにBIGモードと呼ばれる大型キャラが敵と戦う部分は見た目としては斬新だし迫力もある。
だが、今で言う格闘ゲームの様な緻密さはあまり感じられなかったし操作性もあまり良いとはいえず、正直その部分だけではゲームに引き込むだけの魅力にはかけるのだ。

BIGモード以外に至っては小さなキャラによるおまけの様なアクションゲームであり、残念ながらBIGモードだけではゲームとして成り立たないので付け足したようにしか見えないのである。
私自身は特にやり込んだわけではないので、隠れ要素で奥が深いのかもしれない。ただ、少なくとも数回プレイした位ではダラダラとプレイ時間が長いだけで、ゲームとして成り立っていないという印象しか感じられなかったのが正直な所だ。

だが、メインキャラクターである平景清を始め、亡霊や妖怪物の面妖な世界観を見事に表現し、まだハード的にも相当無理のあったはずの大きなキャラを体のパーツをバラバラに作って組み立てる事で表現してみせた事は相当なインパクトがあり、当時からかなり話題に登っていたのは記憶に残っている。
その話題性があればゲームファンならば間違い無くプレイしてくれるわけで、集客力としては成功したゲームと言えるのでは無いだろうか。

こういった世界観とキャラのデザインを売りにしたゲームという発想は、1980年代に入りハード技術が急激に向上してからだ。

それまでのゲームに登場するキャラと言えば最初にゲーム内容が確定し、制作の過程でその内容にそってデザインされた副次的なものである。
あくまでも操作に伴う動きのわかり易さが最優先であるのは言うまでもない。

更に言えば、ハードの制約がある以上デザインを重視できるほどキャラを大きく描けなかったのが現実だ。
インベーダーやパックマンは勿論、ドンキーコングに初登場したマリオが髭面だったのもドット絵で描くのに顔の特徴がわかり易い様にする為だったに過ぎない。
顔の付いたパックマンスーパーマリオは、ゲームが評判になったからこそ誕生したのであり、ヒットして初めてゲームキャラとしての地位を確立していったのである。

技術の向上でグラフィックやサウンドの制約が減っていくのに伴って、敵や背景デザインの自由度も増してどんどん複雑化していった。
各社ゲームメーカーも単に開発者のゲーム制作のついでとしてではなく、専門のデザイナーが世界観の表現を創り出す様になっていったのである。

その表現を最初にゲームの世界観として取り入れたのは紛れもなく同じくナムコの「ゼビウス」であろう。
自機や敵機の硬質で陰影のある秀逸なデザインと裏設定としての独特の世界観を感じさせる背景、そしてその地形や雰囲気を利用した裏ワザの数々はゲームの奥行きを拡げるという意味でも、またプレイヤーの想い入れを深めるといった意味でも非常に有効な手段として活用されていた。

ただし忘れてはいけないのは、元々のゲームシステムとして空中を攻撃するザッパーと、地上を攻撃するボムの使い分けを横から見た画面ではなく上から俯瞰で見た画面で行うというコロンブスの卵的な発想自体が素晴らしかったという点だ。
それをグラフィック技術の向上で表現する事が可能になり、その上で地上を攻撃するというゲーム性に説得力と広がりを持たせる為に自然に生まれたデザインなのである。

あの奥行きのある優れたデザインと世界観もゲーム内容の完成度が大前提としてあり、あくまでも演出のひとつに過ぎないのだ。

それに対して「源平討魔伝」は、内容に合わせたというよりはどちらかと言えばむしろデザインしたキャラクターや世界観を活かすためにどの様にハードの限界に挑戦するか、という試みを行った現在のゲームの在り方を先取りした様な作りであったと私には思える。

世界観や希少性を別にすれば、まだまだ技術的には表現で手一杯という感じで、はっきり言ってしまえばアーケードゲームとしては不完全な出来であったのは否めない。

また、この辺りから設定や裏ストーリーにこだわるあまり、肝心なゲーム内容の伴わない言わばデザイナーの独りよがりな印象の強いゲームが増えたのも確かだ。
そういった意味では良くも悪くもその先駆けであり、ゲームを一部マニアの物にしてしまったきっかけとなる作品となってしまったのもまた確かなのだ。

なぜ私がこれを「迷機」とするのかこれでわかると思うが、当然現場でのインカムが悪かったからに他ならない。
元々私の店舗にも入荷しなかったのではあるが、実際導入テストでのインカム自体もあまり良くなく、大量導入が見送られた位なのである。
私も他店に導入されているのを調査しては見たが、確かに客が途切れる事もなく、ギャラリーは周りを囲んではいたがまるでRPGゲームを見ているかのように延々と、そして淡々とプレイしている様を見て納得したものだ。

現在ではコンシューマーゲームでこのスタイルは完全に確立され、ゲームの世界は派手でデザイン重視の作品ばかりになった。
アーケードでは失敗したものの、家庭用ならばプレイ時間を気にする必要も無いし、現在の家庭用ゲーム機の性能であれば表現も充分余裕のある時代になった。
私自身のゲームとしての評価は低かったものの、現状を見てあらためて「源平討魔伝」の先見性を実感すると同時に、当時は夢物語であったゲームが制作できる様になった技術の進化に感嘆するのである。