デンキ屋が20年前に語りたかったゲームセンターの話

現在電気屋の筆者がゲーム業界にいた頃の体験から語るゲームセンターとアーケードゲームの話。基本的には当時の記憶が頼りなので多少の間違いは大目に見てください。

デンキ屋はゲーセンを語る(1)

ゲーセンの思い出

いきなり個人的な話だが、1984~1994の10年間、私はとあるゲーム会社で働いていた。

入社当時、製造、開発を希望していた私は、研修で半年ほど川崎にあった開発部門と海老名にある工場に配属されていた。

本来ならそのままどちらかに配属されるか、営業所のメンテ部門に回るはずだったのだが、当時、会社の方針で事業のひとつであるゲームセンターの運営を強化する、という名目で営業に回された。

つまり、技術職として入社したのにいきなりゲーセンの店員に回されたのである。

1980年代のゲーセンといえば、まだ不良の溜まり場の印象が色濃く残っており、その店員もカウンターでタバコをくわえて競馬新聞を読んでいるようなオジサンばかりだった(けして比喩ではなく、最初に配属された時は本当にたくさんいた)。

同時に、ゲームセンターが風俗営業法の改正で風俗店の仲間入りすることになり、ますますゲームセンターの印象が悪くなっていた。
更に、家庭用ゲーム機の普及によって今までの様なゲームを置いて置いておけば儲かるような時代は終わりつつあったのである。

当時のゲーム会社は、ゲーム機開発と同時にゲームセンターの運営が主な収益源となっており、ゲームセンターの運営立て直しは重要な課題となっていた。
減益を憂慮した会社はゲーム業界の健全化を図るべく、ゲームセンターの改革に乗り出したのである。

手始めとして、ゲームセンターの印象を改善する為に店員の意識改革のための再教育を始めた訳だが、当然ながら最大の難敵は昔ながらの体質の染み込んだオジサン店員達である。
再教育しようにも、今までのぬるま湯生活に慣れ切ってしまった人達に接客など出来ようはずもなく、会社の方針などまるで聞く気がなかったらしい。
そこで、それならばいっそのこと店舗経験の無い者にイチから教育し、古い人間を追い出した方が手っ取り早いと思ったのだろう。

新しい店長候補として私も含め20人ほどが集められたが、当然技術職から配置転換された我々の士気が上がるわけもない。
悶々とした気持ちのまま数年を過ごしたものの、その間は古い「ゲーセン」から新しい「アミューズメントスペース」に切り替わる過渡期であり、試作ゲームや新製品の導入を検討する為のテストロケーションの仕事等、実に様々な経験をすることができた。

結果としては、吉祥寺の店舗に移動した事がキッカケで運営の面白さに目覚めた訳だが、細かい話はまた次の機会にしたい。
テストマシンや開発に係る話、ゲームの売上の秘密や運営に関する話など、自分の体験から得られた事を今後気の向いた時に投稿して行こうと思う。