デンキ屋が20年前に語りたかったゲームセンターの話

現在電気屋の筆者がゲーム業界にいた頃の体験から語るゲームセンターとアーケードゲームの話。基本的には当時の記憶が頼りなので多少の間違いは大目に見てください。

20年前に語りたかったアーケードゲームの話(3) 売上に係るセオリーとジンクス?

インカムとセオリーとジンクス

ゲームのインカムが上がるための要素として私が挙げた独自性、持続性、希少性であるが、全てのバランスがとれず名機とまでは呼べなかったとしても、インカムの良いゲームには必ずどれかの要素に優れた部分がある。これは私自身の経験から出た結論であるが、それ以外にもゲームのインカムに関するセオリーというかジンクスを先輩の店長や開発担当の人から聞いた事がある。ジンクス、というのはあくまで人伝に聞いた話なので信憑性に欠けるからだが、何故そう言われる様になったのか考えるとまた新たな要素を発見出来そうである。
それらを私の意見も加えていくつか紹介しておこう。

シューティングゲームは寿命が短い

シューティングゲームにはゼビウス等に代表される縦スクロールタイプと、グラディウス等に代表される横スクロールタイプのゲームがあるが、縦画面に比べ、横画面のゲームはインカムが落ちるのが早い、つまり飽きられやすいというものである。
元々、ゲームの画面は初期のブロック崩しに始まりスペースインベーダーゼビウスなど固定画面からスクロール型のシューティングゲームまで殆どが縦型であった。「ディフェンダー」や「ミサイルコマンド」等の横画面のゲームもあるにはあったが、「スクランブル」の様に横スクロールシューティングゲームですら縦画面だった位なので、テーブル筐体で見かける事は本当に少なかった。
横スクロールゲームが増えて来たのは「グラディウス」(コナミ)辺りからではないかと思うが、確かにいくつか名機があるとは言え、息の長いゲームは縦型の方が多かった様に思う。
私なりに理由を考えたが、まずは横スクロールゲームの方がマニア向けのゲームが多かったということが言えるのではないかと思う。
基本的に縦型の背景は宇宙空間か、もしくは地面であっても地形が自機に干渉することはなく、あくまで自機は敵の攻撃にだけ注意すれば良かった。だが横スクロールの場合だと地形そのものが動きを制約する事が多く、より緻密な攻略が必要となる事が多いのだ。この手の攻略性の高いゲームはマニアが主な客層になりがちなのでどうしてもプレイ時間が長くなり易いのである。
あともうひとつの理由は昔はまだテーブルタイプの筐体が多かったということもある。今ではテーブル筐体を見ることもなくなったので確認しようもないが、平面上を斜め上から覗き込むスタイルを想像してほしい。縦画面がわずかながら縦に縮んでみえることから画面全体を見渡し易くなるのである。また、自機が手前に、敵機が奥に見える事も立体感のようなものを感じてより前方、つまり画面の上部に集中し易かったのではないかと思う。画面が大きくなり、ミドルタイプの筐体になってから縦シューティングゲームが昔に比べるとやや見にくく感じてしまうのは自機の位置が自分の目線よりやや下に下がってしまったせいもしれない。

人型のキャラは顔が見えないと売れない

これは言われてみればそうかと思ったものだが、まだ画素が粗いときのキャラは2頭身だったし、マリオに代表されるように髭面等の顔が解りやすいデザインだった。
それが画面が綺麗になっていくに連れ、キャラのスタイルが一時良くなったが、顔が小さくなったお陰で顔を描ききれずのっぺらぼうになってしまったゲームは確かにインカムがあまり良くなかった。悪い例なのであまり挙げたくは無いが「クラックダウン」「ゲイングランド」(セガ)や「ローリングサンダー」(ナムコ)等である。どちらも個人的には面白いと思ったゲームだったのだが、何故かあまり売れなかった。
理由を聞くとやはり正に「ゲームの顔」というべきメインキャラが印象に残らないから、とのこと。ゲーム全体のイメージがぼやけてしまったということなのだろう。
メーカー側もその辺りは判っているのか、そもそもキャラの表情が見えないゲーム自体非常に少ない。また、すぐに市場から消えてしまうためか確かに記憶に残っていないのだ。
ただ、例外はいくつかあるので私自身としてはそういう傾向がある、位の感覚ではあるのだが。

戦場物は売れる、ファンタジーは売れない

これはあくまでシューティングゲームやアクションゲームの話だが、例えば同じ様なシステムのシューティングゲームの場合だと、SFやファンタジー系の世界観のものより実在した戦闘機など現実世界をモチーフとしたゲームの方がより売れるというものだ。元々初期のゲームはSFモチーフのものばかりだったが、それはあくまで技術的に宇宙空間を背景にせざるを得ない事情があったからで、実在の世界観を表現出来るならばその方が良いという事らしい。
これについては自分自身もなるほどと思う部分はあるが、ただ少なくともシューティングゲームに関しては「ツインビー」(コナミ)というファンタジー物だが名機と呼べるゲームがあるので決して売れないという事ではないだろう。
ただ、確かに戦場物が比較的インカムが上がりやすい傾向にあるのは間違いないと思う。
「1942」「戦場の狼」(カプコン)は良い例で、どちらもシステムとしてはごくありふれたタイプのゲームである。だが特に売りらしきもののないこのゲームは堅実な売上が意外に長期間続いていた。どちらも続編が出た事からも実績は充分あったと言うことであろう。(ちなみに、人型で顔の見えないキャラでありながら成功した例がこの戦場の狼である。)
どちらも共通して言えたのは、主に一般層がプレイしていたということである。
他のシューティングゲームが比較的学生等の若年層が多かったのに比べると客層の違いははっきりとしていた。
一般層は若年層に比べれば財布の紐はゆるい。また若年層ほどにはゲーム上級者は多くない。どちらの客層の方がゲームにとってインカムを稼ぎ易いかはあきらかであろう。
そして逆に一般層にとってファンタジー系ジャンルは確かにハードルが高かった。同じ様な物があれば現実に近いジャンルの方が取っつきやすい、ということである。
更にもう一つ、マニア向けの物は一般層は手を出さないが、逆に一般向けのものはマニアもプレイする。間口の広いほうが売上が上がりやすいのは当然である。
少し特殊な例だが「忍者ウォリアーズ」もSF要素はあるが、忍者は戦場物の主人公としてはありらしい。こちらは全体の世界観がそのまま戦場物なので比較的一般客に受け入れられていた。
面白い例として「怒」「怒号層圏」(SNK)がある。
「怒」はループレバー(頭の部分にダイヤル式の回転する部分のついたレバー。移動方向とは全く違う方に攻撃できるようにした)を採用したガチガチの戦場物である。
印象深いサウンドと迫力ある攻撃の快感で、こちらは一般客、学生客どちらの層にも評判が良く、高インカムが比較的長期間続いた名機であった。
そして満を持して続編「怒号層圏」が登場した訳だが、こちらは何故か全くインカムが上がらなかった。「怒号層圏」は主人公も操作も同じなのだが、世界観が派手な武器を振り回すファンタジー色豊かな内容に変わってしまったのである。他にもゲームバランス等色々要因はあるが、少なくとも一般客は見向きもしなかった。

パズルゲーム系はそうでもないが、アクションゲーム系ではファンタジー系のゲームは確かに売れない傾向はある。特に例は出さないが、剣と魔法を舞台にしたゲームや妖怪ものなどは話題性はあったものの、インカム的には私の記憶している限り成功した例は殆どないのではないだろうか。
かろうじて「スプラッターハウス」(ナムコ)が一般層にも受け容れられたくらいだが、これがファンタジーと呼べるかどうかは微妙なところだ。
元々、ファンタジー要素の強いゲームはRPG等のコンシューマゲームには向いているが、時間制限のあるアーケードゲームにはそぐわないのだろう。また、この当時はまだファンタジーそのものが一般に浸透していなかったという背景もあるが。

プレイ画面をギャラリーが覗けないとそのゲームは売れなくなる

こちらは主にコクピットタイプ等の特殊なタイプに言える話なのだが、プレイ中の画面を覗く事ができない形状の筐体は長持ちしないというものである。やはり人がプレイしているのを見て面白そうかどうか、または攻略のヒントを掴んだりするのでプレイ画面を見る事が出来なければどうしてもとっつきにくくなるだろう。
ナイトストライカー」(タイトー)が残念ながら分かりやすい例である。
見たことがある人ならば解ると思うが、ドーム型の筐体に椅子をスライドさせて入るスタイルなので、プレイ中の画面をギャラリーが見ることは殆ど出来ない。それこそ後ろから首を突っ込む様にしないといけないのだから仲間同士でもなければ無理であろう。
一度始めると何回もリピートしていた客も結構いたので、もう少し内容をアピールできればと思ったものだ。
筐体デザインがゲームの足を引っ張る珍しいケースであった。

勿論、通常のミドルタイプのゲームでも同様の事が言える。
実はこれはセオリーというよりはレイアウトの常識とも言えるもので、通常売れ筋や新製品等は入口からの導線上に画面が見やすいように設置するものなのである。逆にあまりプレイ画面を見られたくないようなゲーム、例えば脱衣麻雀や将棋等の1人でじっくりプレイするタイプの物は敢えて隅の方だったり、わざと通路の狭い場所を作って設置するのが普通であった。
私もテストマシン等は入口から少し離れた所でギャラリーが集まっても良いように後ろのスペースは広めに開けるようにしていた。ちなみに入口から少し離すのは入口そばは人の出入りが多いために人だかりが出来にくいからである。

どのセオリーというかジンクスも言われて見ればという程度かもしれないが、こうやって真面目に考察してみると確かに腑に落ちる部分はあったはずだ。本来ならそういった事もきちんと分析する事でより的確なゲーム作りができたはずで、店舗の経験は馬鹿に出来ない、ということである。

20年前に語りたかったアーケードゲームの話(2) 売上を上げるゲームの条件

売上を左右する要素

前回、私の考えるアーケードゲームにおける「名機」とは、独自性、持続性、希少性等の絶妙なバランスによって、結果として爆発的、又は数カ月に渡る安定的なインカムを稼ぐことの出来たゲームである、とした。

そう、「結果として」だ。

メーカーはインカムを稼げるゲーム を創り出す為に様々なジャンルで試行錯誤しながら新たなゲームを次々と世に送り出していたが、それでも名機と呼べる程に稼げたゲームは私が業界にいた頃でも年に数えるほどしかなかった。
つまり、それだけインカムを稼ぐゲームを創造するのは難しいということだ。

少し話は逸れるが、私はテストロケーションの担当をしていた時期があった。
テストロケとは、自社の試作品や他社の新製品の導入の検討をする為に、試験的に設置して売上のデータをとる店舗のことである。
そして担当の私はテストマシンについて既存のゲームとの売上比較、主な客層、プレイヤーの傾向、満足度、プレイ時間やリプレイの度合い等を調査し、評価を行っていたのである。
なかなかに面倒な作業ではあったがやり甲斐はあったし、そのお陰でゲームを見る目は大分養われたと思う。
そして様々なゲームを見る内に、インカムを上げるために必要な要素や売れるセオリーのようなもの、傾向はある程度掴めてはきたものの、結局は売上を上げる絶対的な条件というものは存在しない、という結論に達してしまったのである。
ポイントを押さえてあっても売れないゲームは多数あったし、逆にひとつひとつの要素は大したことがなくても、意外に売れたゲームも存在した。言ってみれば様々な要素が絶妙に絡み合い、見事なバランスがとれた時に初めて名機となるのであって、そうそう狙って出来るものではない、ということだ。

まあそれで話が終わってしまってはつまらないので、とりあえず名機には大抵あった優れた要素、つまり前回挙げた独自性、持続性、希少性の3つについてもう少し私の経験から思った事を語っておこう。

まずは独自性についてだが、画面や音楽、特殊な操作性や体感ゲーム等の特殊筐体、今までに無いゲームシステム等、他との差別化に必要な部分で、これが突出しているほど注目度、アピール度が増す。
仮にそれ程特殊な部分が無くとも、ゲームシステムに若干アレンジを加える程度の目新しさだとしても画面やサウンドである程度カバーは出来る。
まずはプレイヤーを惹きつけ、最初にコインを入れるきっかけとして大きな役割を持つのがこの要素である。
ただ、確かに必要ではあるし、殆どの人がゲームの売りと言えばこの独自性に関する部分だと答えるだろう。しかし私自身はこの部分について実はそれ程重要視してはいない。
美しい画面構成や目新しさ自体は新製品であれば当然ある訳で、また目新しい部分は見慣れてしまえばすぐに魅力は半減してしまうからだ。
そういうアイデアや作り手の思い入れだけで勝負しようとするゲームは実に多いが、それだけではすぐに売上は落ちていくだろう。

ただ、これが重要な要素になる場合も確かにある。
アルカノイド」(タイトー)がいい例であろう。
言うまでもなくこれはブロック崩しのリメイクであるが、基本的な内容はそのままであるにも関わらず半年以上に渡る高インカムを記録した間違いなく名機と呼べるゲームである。
はっきり言ってしまえば、見た目がきれいな以外にこれといったシステムの変化は殆ど無いと言っても良いだろう。パワーアップアイテム等はあくまでも付け足しであり、ほぼそのままクリンアップしたにすぎないゲームである。にも関わらず名機となった理由の一つは間違いなく画面が美しくリニューアルされた事が大きかった。
アルカノイドが成功した理由については他にも色々な要素が重なった結果ではあるのだが、それはまた別の機会に詳しく書きたいと思う。

次に持続性についてだが、これは操作に対する反応や難易度の調整、面の構成等、プレイヤーを飽きさせず、もうワンコインを投入させるための要素である。
制作側の技術やセンス、練り込み度合いが問われる部分で、ゲームにとって最も重要な要素でありながらあまり注目されておらず、また名機がなかなか生まれにくい原因でもある。
というのも、この部分はこれといって確立された技術ではなく、企画書ではなかなか表現出来ない部分でもあるからだ。

アーケードゲームにおいてインカムを稼ぎ続けるのは非常に難しい。

とりあえず購入してもらえば成功のコンシューマゲームとは異なり、何度もプレイしてもらう必要のあるアーケードゲームではプレイ時間やワンプレイで得られる満足度のバランスを取るのが非常に重要でかつ難しいのだ。
前回も書いた通り1回のプレイ時間が長過ぎては売上にならないし、短いプレイ時間でもある程度は満足度がなければいけない。そうかと言って充分に満足感を得られてしまうと今度は再度のコイン投入に繋がらない。
プレイ後、結果に対してわずかに不満を感じる位の絶妙さが必要なのである。
一般にプレイ時間の目安は長くても3分前後とされていた。そして初心者でも少し頑張れば1面はクリア出来るようにするのがセオリーだった。
多くのゲームはそれを難易度で調整しようとして失敗していたものだ。
難易度調整は最後の微調整程度にすべきで、本来は残機設定等のシステムやステージ構成等、ゲーム企画時から意識しておくべきなのである。

バランス調整が難しい例をひとつ上げるとすれば「魔界村」(カプコン)だろうか。

こちらはあまり長期間は保たなかったものの、初期はかなりのインカムを稼いでいた。ゲーム自体の質も高くこれも名機と呼んでいいだろう。
このゲームの特徴のひとつとして、敵の攻撃を受けるとまず鎧が壊れ、更に攻撃を受けることで残機が減るシステムになっている。つまり事実上残機が倍あることになるのだ。
このシステムそのものはアクションゲームではそう珍しいものではないが、実質シューティングゲームに近い魔界村では、キャラが小さくなかなか敵の攻撃が当たらない所に問題があった。
その上更に残機が倍あるのだから普通の難易度ではプレイ時間が長くなり過ぎてしまうのは当然であろう。
その為、プレイ時間調整でそれなりに難易度を上げる必要があったのだ。
しかも1回死ぬとかなり前に戻されるので、なかなか前に進めないという印象があった筈である。少なくとも一般のプレイヤーにとってはかなり難しい印象であったはずで、1面辺りで早々に攻略を諦めるプレイヤーも結構多かったのではないだろうか。

実は1回のプレイ時間そのものはそれなりに長かったので、バランスそのものが悪い訳ではないはずなのに次に進みたいと思う意識が削がれてしまったのは実に勿体なかったなと思うのだ。

最後に希少性であるが、これは例えば見た目が地味であまり多くの店舗に設置されなかったり、大型の筐体で設置する店舗が限られていたり、特殊なコンパネ(操作部、通常はレバーやボタンの事)を使用していて、メンテナンスの都合で段々数が減ったり等の理由であまり出回っていないゲームがこれに当たる。
これは殆ど外的要因で、制作者サイドからはどうしようもないことではあるのだが、意外にこの要素は馬鹿にできない。
絶対数が少ないのだから当然1台当りのインカムは上がる訳で、そこそこ安定したインカムを稼ぐ場合があるのだ。
また、他の店舗ではプレイすることが出来ない事から、そのゲーム目的に来店する客も期待出来るのである。
他にも、例えばメーカー直営店の場合だと当然そのメーカーのゲームは多く設置する。そうやってカラーを強く打ち出す事も出来る訳だが、中にはあまり売上が良くなく他の店舗では見られない迷機もカルトなファンを集める武器となりうるのである。
つまり、そのゲーム自体では稼げなくとも、集客に使えるタイプのゲームもあるということだ。(もちろん、メーカー側もわざわざその為に迷機を作る訳ではないだろうが)

これもひとつ例を上げておこう。
「忍者ウォリアーズ」(タイトー)である。
ダライアス」(タイトー)の3画面筐体を使った横スクロールアクションゲームであるが、実際にプレイ出来た人はどの位いるのだろうか。
元々、3画面という大型でかなり特殊な筐体という事で設置数そのものもかなり限られていたし、最初のダライアスが期待程にはインカムが上がらなかったためか、タイトー系の店舗以外では殆ど見る事がなかった。
初稼働当時もダライアスに比べればそれ程話題にも登らなかったし、ゲームミュージックだけがやたらに評判だった記憶がある。
だが実際に稼働してみると、元々の出来そのものが一般向けで入りやすい作りというのもあったが、かなりの長期間高インカムを記録し続けていた。
実はこの筐体、形やモニターの関係で周りのギャラリーがプレイ画面を見づらい為に新製品としてのアピールがし難いという致命的な欠点があった。それらの事も含めて地味でかなり不遇なゲームだったと思うのだが逆に希少性は高く、設置した店舗にしてみれば予想以上に稼げた名機だったのではないだろうか。
勿論、忍者ウォリアーズ自体の出来についても評価すべきであり、個人的には大好きなゲームでもあるので、これについても別の機会に是非改めて語りたい。

20年前に語りたかったアーケードゲームの話(1) 本当に優れた名機とは

アーケードゲームの最盛期

私がゲーム業界にいた1980年代は、アーケードゲームが最も進化、成長していた時期だと思う。

グラフィックやサウンド技術が向上し、それなりに味はあるものの、いかにもドット絵丸出しなゲーム画面から、映像作品と呼んでも良い程の演出が可能になっていく。
ハードの進歩はそれまで不可能だったアイデアをどんどん実現させ、ゲームクリエイターを目指した優秀な人材も集まり始めた。
ゲーム会社も発展途上であったこの業界の可能性を探るべく、若い開発者の意見を取り入れ試行錯誤を繰り返しながら様々なジャンルのゲームを開発していったのである。

ただ、この頃はまだ戦略というか、あまり市場を意識した開発のしかたをしていなかったようで、「名機」と呼べる素晴らしい完成度の物が世に出ると同時に、逆に「迷機」と呼べるような珍妙なゲームも数多く誕生した時期でもある。

アーケードゲームの「名機」とは

さて、「名機」と呼べるゲームとはどのような物を指すのだろうか?

いわゆるゲームオタクという人達が増えてきたのもこの頃だったと思うが、店に集まる彼らのいう「名機」とは、ゲームにストーリー性を追い求め、美麗でサウンドの完成度も高く、高い難易度と緻密な攻略法を求められるゲームのことを指していた。
確かに私もそれらは大事な条件だとは思う。企画を練り込み、画面やサウンドを作り込まれたゲームは単なる商品としてだけでない情熱を感じさせ、まずは一見して惹きつける要素がなければプレイしてはもらえないからだ。

だが、運営側の視点から考えた時、絶対に無視することのできない条件がある。
それは「売上」である。

どんなに質的に優れたゲームであってもインカム(実際にコインが投入された枚数、つまり売上そのもの)が上がらなければ早々にゲームセンターから姿を消してしまう訳で、すぐに忘れ去られてしまうゲームを「名機」とは呼べないであろう。

面白いゲームなら売上も当然上がるんじゃないの?と皆は思うだろうが話はそう単純ではない。

極端な例だが、ゲームそのものは面白いと評価されても難易度が簡単すぎて1回のプレイ時間が1時間以上かかるようだと、当然ながら1日稼働しても千円程度しか稼げない。かと言って難し過ぎて30秒もかからず終わってしまう様なゲームは則クソゲー認定されて見向きもされなくなってしまうだろう。

つまり、難易度調整ひとつ間違えてもインカムは上がらないものなのだ。

結論としては、表現力の高さや斬新なシステム等の独自性、優れたゲームバランスや快感度、完成度の高さによる持続性、他店では置いてないといった希少性等様々な要素が高いレベルで融合し、結果的に爆発的、又は数カ月にわたる安定的なインカムを稼ぐことの出来たゲームこそが「名機」と呼べる、と私は考えるのだ。

次回は、名機の条件についてもう少し考察したいと思う。

デンキ屋はゲーセンを語る(1)

ゲーセンの思い出

いきなり個人的な話だが、1984~1994の10年間、私はとあるゲーム会社で働いていた。

入社当時、製造、開発を希望していた私は、研修で半年ほど川崎にあった開発部門と海老名にある工場に配属されていた。

本来ならそのままどちらかに配属されるか、営業所のメンテ部門に回るはずだったのだが、当時、会社の方針で事業のひとつであるゲームセンターの運営を強化する、という名目で営業に回された。

つまり、技術職として入社したのにいきなりゲーセンの店員に回されたのである。

1980年代のゲーセンといえば、まだ不良の溜まり場の印象が色濃く残っており、その店員もカウンターでタバコをくわえて競馬新聞を読んでいるようなオジサンばかりだった(けして比喩ではなく、最初に配属された時は本当にたくさんいた)。

同時に、ゲームセンターが風俗営業法の改正で風俗店の仲間入りすることになり、ますますゲームセンターの印象が悪くなっていた。
更に、家庭用ゲーム機の普及によって今までの様なゲームを置いて置いておけば儲かるような時代は終わりつつあったのである。

当時のゲーム会社は、ゲーム機開発と同時にゲームセンターの運営が主な収益源となっており、ゲームセンターの運営立て直しは重要な課題となっていた。
減益を憂慮した会社はゲーム業界の健全化を図るべく、ゲームセンターの改革に乗り出したのである。

手始めとして、ゲームセンターの印象を改善する為に店員の意識改革のための再教育を始めた訳だが、当然ながら最大の難敵は昔ながらの体質の染み込んだオジサン店員達である。
再教育しようにも、今までのぬるま湯生活に慣れ切ってしまった人達に接客など出来ようはずもなく、会社の方針などまるで聞く気がなかったらしい。
そこで、それならばいっそのこと店舗経験の無い者にイチから教育し、古い人間を追い出した方が手っ取り早いと思ったのだろう。

新しい店長候補として私も含め20人ほどが集められたが、当然技術職から配置転換された我々の士気が上がるわけもない。
悶々とした気持ちのまま数年を過ごしたものの、その間は古い「ゲーセン」から新しい「アミューズメントスペース」に切り替わる過渡期であり、試作ゲームや新製品の導入を検討する為のテストロケーションの仕事等、実に様々な経験をすることができた。

結果としては、吉祥寺の店舗に移動した事がキッカケで運営の面白さに目覚めた訳だが、細かい話はまた次の機会にしたい。
テストマシンや開発に係る話、ゲームの売上の秘密や運営に関する話など、自分の体験から得られた事を今後気の向いた時に投稿して行こうと思う。