デンキ屋が20年前に語りたかったゲームセンターの話

現在電気屋の筆者がゲーム業界にいた頃の体験から語るゲームセンターとアーケードゲームの話。基本的には当時の記憶が頼りなので多少の間違いは大目に見てください。

業界を変えたゲーム達(2) メダルゲーム

メダルゲームが変えたもの

最近ではすっかり見る機会の減ったメダルゲームだが、私のいた1990年頃は丁度ゲームセンターからアミューズメントスペースへの変化を模索していた頃で、その一環として各店に導入され始めていた。
繁華街の店舗が中心であったが、一時はゲームセンターの活性化に一役買っていたものである。

それまでのメダルゲームそのものはどちらかと言えば子供向けとしてショッピングセンターや遊園地内の店舗等に以前から存在はしていたが、ビデオゲーム中心のゲーセンでお目にかかる事は殆どなかった。
その中、シグマ(現アドアーズ)がカジノばりの本格的なMIMOマシーン(メダルイン メダル アウト)、つまりメダルゲームを前面に押し出したゲームセンターを運営し、大成功していた。

シグマ独自のスロットやポーカー等の台がずらりと並び、大型の競馬、メダル落とし等の台が、ゲーセンとはまるで違う大人向けの雰囲気を醸し出し、活況を呈していたのである。
若年層が中心となっていた当時のゲーセンとは客単価の差も大きく、効率の違いは明らかであった。逆にビデオゲームも充分に設置してあったが、そちらで稼ぐ気は無かったらしく、まだ繁華街では100円だったワンプレイ単価を新製品でも50円にして客集めに使っていたのである。

そのシグマの成功を見たセガタイトー等の大手ゲームメーカーもその波に乗るべく独自のメダルゲームを開発し、新しい業態に参入したのである。

だが、正直メダルゲーム導入後の売り上げは店舗によって結構バラツキがあったように思う。
私自身店舗で実感したのだが、シグマの台に比べ他社製の台はメダルのペイアウト率が低い、つまり投入したメダルの枚数に比べての当たり枚数が少なかったり、ジャックポット、いわゆる大当たりが少なかったりと今一つ面白さに欠けたのだ。
またセガの大型台は派手で見栄えがしたがその大きさから導入できる店舗は限られていた。
当然、機械を設置するだけではすぐ飽きられ、とてもではないがシグマの店舗には太刀打ちできなかったのである。
しかも、ビデオゲームとは違い簡単に基盤を交換する訳にもいかず、導入は失敗したと判断する店舗は結構あったはずである。

だが、私自身はこのMIMOマシーンの導入はゲーム業界にとってとても大きな変革のきっかけになったと考えている。

シグマのゲームセンターはけして機械をただ設置しているだけではない。
ジャックポット時に店内放送で台の大当たりや競馬ゲームの高配当を実況したり、メダル落とし台にメダルを積み上げ落ちやすさを演出するなどの「場を盛り上げる」工夫を絶えず実行していたのである。
その事自体はメダル導入時に研修で習ったことではあったが、最初はその重要性に懐疑的だった。
だが私の店も当初は売上が振るわず、売上アップを模索する中で他店の情報やシグマの運営を参考にしながら様々な方策をとった結果、日々の細かな運営努力が重要である事を実感する事になるのである。

私の店は規模が小さく、大型店のような派手な事はできなかったがその分自分一人である程度回せる様な細かい対応が可能であった。
また、その日に使い切れなかったメダルはカウンターに預かるシステムとなっていた為、預かりや払出し業務といったお客様との接点が出来、自然とコミュニケーションをとる機会が増えたのだ。
そうして得た情報をまた運営に活かす事を重ねる内、それは目に見えて売上げアップに繋がっていったのである。

この感覚は私の運営に対する考えかたを大きく変えた。
それまでのゲームセンターは売上を決定するのは設置されるゲームであり、基本的に機械のメンテナンスさえ問題なければさほど運営努力は必要とされていなかった。
それは運営側としては楽ではあったけれども、努力が結果に繋がりにくく、店長の意識が全体に低かったのである。
そんな中、こういったお客様とのコミュニケーションや店の動向を見ながらの細かい対応といった運営の方法はそれまではあまり考えなかったものであり、仮にやろうとしてもさほど効果的な事はできなかったものでもある。そして、いざそういう思考を意識し始めると、機種構成やレイアウト等の今まで見えてこなかったものが見えるようになり、店舗運営の面白さに目覚めたのである。

ビデオゲームと異なり、アイデアと接客を生かせる余地のあるメダルゲームは店舗担当に運営意識を芽生えさせるのに大いに貢献したのである。

メダルの運営はその意識をバイトも含めた店員全員に浸透させる必要がある。
本来ならばしっかりとしたマニュアルを作成して全員に教育を徹底する体制を作らなければ売り上げを持続させるのは難しいだろう。
メダルゲームが衰退していったのはそういった維持が難しかったからではないかと思うが、こういった運営に対する意識の変化はその後のクレーンゲームの運営に引き継がれていくことになるのである。

業界を変えたゲーム達(1) 体感型ゲームの意義

業界の運営を変えたゲーム

ゲーム業界にとって、登場がきっかけとなりその後に強く影響を与えたゲームというものがいくつか存在する。それは体感ゲームであったり、メダルゲームであったり、クレーンゲームであったり、私が業界を去った後もプリクラの登場等があった。
いずれもゲーセンの運営の在り方を変えたゲーム達である。

体感ゲームはゲーセンのアミューズメントパーク化、つまりそれまでの暗いイメージでテーブルだらけのゲーセンから、手軽な遊園地感覚の明るいイメージを作るのに貢献した。
メダルゲームはカジノ的な雰囲気で大人の客層を呼び込むことで客単価の引上げに貢献し、クレーンゲームはそれまでビデオゲームにあまり接点の無かった親子連れや女性客に間口を拡げることで、子供から大人まで幅広い層に受け容れられる事に成功したのである。
それらはそれまでのテーブル型ビデオゲーム頼りから脱却し、ゲームセンターからアミューズメントスペースと言う健全な娯楽施設としてのイメージを定着させるのに大いに貢献したのである。


…とまあここまではゲーム業界を一般的な視点で語るとこんな感じになるのであろうか。
確かにここまで語った事は間違いではない。それまでの古いタイプのゲーセン脱却に貢献したのは確かだからだ。ただ、単純に体感ゲームが登場したから、メダルゲームが、クレーンゲームが登場したから業界が変わった訳ではない、と私は言いたい。

それらの登場はきっかけとはなったが、それらがブレイクし、雰囲気作りに貢献したのは、あくまでハードではなくソフト、つまり体感ゲームであればそのゲーム内容であり、メダルであればその店舗の運営努力であり、クレーンゲームであれば中に入れる景品の商品開発が業界を変えていったのである。

体感ゲームは果たして成功したのか

体感ゲームは当時ファミコンプレイステーションの台頭によるビデオゲームの衰退に対応すべく開発されたものだ。
普通のビデオゲームでは家庭用に客を取られてしまうため、ゲームセンターでしか遊ぶ事の出来ない大型の体感型筐体で差別化を図ろうという訳である。

その体感ゲームとして初めて登場したのが「ハングオン」(セガ)である。

さすがにこの筐体は現在稼働してないと思うので、現物を見たことがある人は少ないと思うがとにかく大きかった、というのが第一印象であった。
土台の上にまんまバイクが一台乗ったデザインで、バイクのメーター部分にあるモニターを見ながら、ハンドルを切る代わりに筐体を自力で傾けてコーナーを周るのである。本来はステップに足を掛けて体重移動で操作して欲しかったのであろうが、実際には足を踏ん張って強引にバイクを傾けて操作する人が殆どであった。

正直、そのプレイスタイルは滑稽であり、筐体としてはそれ程優れたものとは思えなかった。
だがやはり目を引く大型筐体である。いざ稼働してみると物珍しさもあり初期インカムは素晴らしかった。通常のゲームの4倍以上は稼ぎ、一般客を中心に皆でワイワイと遊んでいる姿は明らかに今までのゲームとは雰囲気の違うものであったのだ。
当時はテレビでも取り上げられ、これからのゲームということで話題になったものである。

ただ、売上に関しては体感ゲームだからという理由だけではけしてなかった。
勿論この筐体が一般客を集めたのは間違いない。稼働当初ワンプレイ200円だった事も高インカムの理由でもある。
だがこの「ハングオン」というゲームそのものが非常に完成度の高いゲームであった事が実は最大の理由であったと私は思うのだ。
シンプルな操作方法と絶妙なゲームバランス、そして耳に残る軽快なBGMが非常に良く出来ており、別に体感ゲームというカテゴリーでなくとも、充分に面白いゲームに仕上がっていたのである。体感ゲームとしての操作性の悪さも考慮し、難易度はやや低めに設定してあったのも一般客に受け入れやすい理由の一つとなっていた。

ハードではなくソフトが優れていた事はすぐに証明される事になる。
ワンプレイ200円の料金はやはり当時としては高額ですぐにインカムが落ちてき始めた。
更に操作が通常のハンドル式になったアップライトタイプの物が登場すると、皆操作性の良いそちらへ流れていった。
しかもインカム自体はアップライトだから落ちると言う事もなく、体感型と遜色無い安定した売上を維持したのである。

そうなると、通常の3台分程のスペースを使う大型の体感タイプはただのお荷物となってしまい、次第に店舗から消えて行くこととなる。

残念ながら業界初の体感型ゲーム「ハングオン」は体感型としては必ずしも成功とは言い難かった。だがゲームの質にも助けられて売上自体は良かった為に体感ゲームの可能性を業界に強く印象付けたのは確かである。

その後も「スペースハリアー」「アウトラン」「アフターバーナー」(いずれもセガ)と体感ゲームは完成度を更に高めながら度々登場し、高インカムと話題性をもたらした。
この3台に関しては筐体が可動する本格的なものであり、体感型というカテゴリーを確立したゲーム達だと言える。
ただこれもまた共通して言えるのは、ゲーム内容自体それぞれ名機と呼べる素晴らしい完成度であり、仮に体感型でなくとも高インカムを稼げる事は間違いない、ということだ。その上で可動する筐体という外見のインパクトと、可動する事でプレイに与える付加価値の付いた状態が体感型ゲーム人気の実態という訳である。

筐体の設置に必要なスペースと高額な本体価格を考えれば、費用対効果は通常のゲームに比べて突出して優れているとは言い難い。ただ、当時の地味な箱型のコクピット筐体と比べFRPを使用し派手に動く体感型筐体はそれまでの奥の壁際が定位置だったコクピット型ゲームを入口付近の目玉商品に押し上げ、ゲームセンターのレイアウトの幅を広げる事になる。
また体感ゲームハングオンに限らず、その殆どが一般層をターゲットにしており、その頃マニア向けに偏りがちだったアーケードゲームを再び客層を広げる事に大いに貢献したのである。
実はこの客層の間口を拡げるきっかけになったことこそ、体感ゲームが業界を変えた最大の功績だと思うのだ。
ここから、業界は一般層を更に引き込む為の新たな方策を模索し始める事になるのである。

20年前に語りたかったアーケードゲームの話(8) ゲームミュージックの話 突然音楽性が変わったセガと職人技のタイトー

閑話 個人的に大好きなゲームミュージックの話(2)

閑話のつもりが随分長い話になってしまったが、個人的に好きなゲームミュージックについてもう少し語っておきたい。

ゲームミュージックが成熟していく過程で特に急激な進化を遂げたのはセガではなかったかと思う。

正直、80年代頭までこれといったヒット作も無かったセガだが、85年に体感ゲームハングオン」を発売してから突然、本当に何が起こったのかと思う位(まあ強力なバックアップが付いたからではあろうが)全てに於いて劇的な進化を遂げたのである。それに伴いゲーム音楽も音楽性が極端に変わり、まるでスタッフが全員入れ替わったのではなかろうかと思う位洗練されていった。
特に体感ゲームに使用された音楽は特殊筐体でステレオとなった利点を活かしてどれも単体の音楽として完成しており、抑えめながらもゲーム音楽としてのセオリーもしっかり押さえた優れものであった。

セガの音楽の特徴はバンド演奏を意識した曲作りである。当時の他メーカーの曲に比べると、ギターやドラムのサウンドにより重点がおかれているのがわかる。勿論、サウンドの中心はキーボードではあるものの、メインのメロディはボーカルを意識しているのか敢えて楽器をあまり変えずに流れているので非常に分かりやすい。
ハングオン」ではシンプルなメロディラインとリズムで疾走感を、「スペースハリアー」ではアクションシューティングゲームとしては若干軽いイメージではあるものの、軽快感と浮遊感を上手く表現していた。
アウトラン」では敢えてレースゲームらしくない音楽で正にドライブ中にラジオから流れる曲をイメージさせ、「アフターバーナー」ではやはり映画「トップガン」を意識したビートの効いたものになっていた。その後も「カルテット」や「ファンタジーゾーン」等の名曲を生み出す事になるのだ。

そして最後に、個人的には最もコンスタントにレベルの高い音楽を創り続けたのではないかと思うタイトーである。

初期の「スペースインベーダー」等の制約の多い頃から蓄積された経験による音作りは、どの時代のどのゲームにおいても完成度が高い。
やはり技術的にはナムココナミにやや遅れた感は否めないが、「エレベーターアクション」等、少ない音源を上手く使って特徴的なメロディを作っていた。

タイトーの音楽の特徴はなんと言ってもゲームに合わせて全く異なる曲調、メロディとなるバリエーションの豊富さだ。

どのメーカーもゲーム内容に合わせて曲調を寄せる事はあるものの、メーカー毎の“色”は強く出るし、特に音源となる楽器の構成は案外極端には変わらないものだ。
ところがタイトーの場合「アウターゾーン」ではSFらしい硬質な金管楽器、「スクランブルフォーメーション」では都会の空をイメージしたザラッとした音色のキーボード、「奇々怪々」や「影の伝説」では琴をイメージさせる弦楽器、「ラスタンサーガ」ではパイプオルガン中心のクラシック、「バブルボブル」「レインボーアイランド」では明るいファンタジー調の木琴と様々な楽器音源を有効に使い、全く違うサウンドを創り出しているのだ。しかも、音楽そのものはバラエティに富みながらも、ゲーム音楽としてのセオリーである特徴的なフレーズの繰り返しは必ず押さえてある。
更にはセガとは逆にドラム等の低音は多用せず、比較的クリアな高音域を多用している。
これは意図しているのかどうかは定かではないが、雑音の多いゲームセンターでは実に聴こえやすく耳に残りやすい音域なのだ。
あくまでも主役はゲームセンターのゲームであり、ゲームを活かす為の音楽である事をハッキリと意識した職人達の創ったゲームミュージックであると言えよう。

そして、タイトーを代表する音楽と言えばやはり「ダライアス」と「忍者ウォリアーズ」であろう。

元々「ダライアス」の採用された特殊筐体は3画面を使用した大型画面が売りなのだが、同時にボディソニックやステレオスピーカー、更にはボリューム付きのヘッドホン端子まで実装した音響効果に重点を置いた当時では珍しい筐体であった。
当然の様に「ダライアス」のサウンドは臨場感溢れる今までにないクオリティが要求されたのである。

それまでのBGMよりもセオリーの繰り返しはやや抑えめながら、しっかりとしたメロディラインとドラムの無い独特のキーボード中心のサウンドはステージ毎に特徴があり見事としか言い様が無い。

80年代の初期と言えばYMOに代表されるテクノポップが音楽ジャンルとして確立した頃であるが、「ダライアス」は最もその影響を受けているサウンドではないだろうか。まあそうやって考えてみると、YMOの「ライディーン」も特徴的なフレーズの繰り返しを多用しており、ある意味理想的なゲームミュージックの形をなしている。逆にもっと影響を受けたサウンドが他メーカーから出ていないのが不思議なくらいだ。

「忍者ウォリアーズ」では派手なアクションゲーム向けのアレンジに加え、本格的な津軽三味線の音色を取り入れ、和と洋の音楽の見事な融合を果たした傑作である。
今でこそ和楽器バンドの登場で世間的に認知されているが、洋楽に最も遠い和のテイストである三味線を取り入れ、しかも完全オリジナルのサウンドというのは当時では相当珍しかったのではないだろうか。

もう一つ、タイトーの音へのこだわりが感じられるのはデモ画面専用サウンドの存在である。
少しマニアックな話だが「メタルソルジャーアイザックⅡ」というゲームには、デモ画面専用の音楽が設定されていたのである。
通常デモ画面、つまり誰もプレイしていない時には音無しか、あってもデモプレイ音、もしくはゲーム中のBGMが流れる程度である。まだまだハードの制約の多い頃、わざわざデモ画面専用のサウンドを作ったのは恐らくタイトーが最初ではないだろうか。

残念ながらゲーム自体がマイナーな上、設定で音無しにできる為に実際に聴く事が出来た人は皆無であったと思う。
私の店舗では勿論デモサウンドを流していたが、当時はデモだけでしか聴けないサウンドで終わらすには非常に勿体無いクオリティだと思っていたものだ。
数年後、その曲は「ダライアス」のBGM「CAPTAIN NEO 」として復活していた。当時のものとほぼそのままのアレンジである事でもそのクオリティの高さが伺えるというものである。

以降もデモ画面に専用のサウンドを流して演出したゲームは度々登場する。「忍者ウォリアーズ」でのタイトルバックにも専用サウンドが流れていたし、「ソニックブラストマン」でのナレーション付のサウンドも味があって良かった。
中でも私が最も印象に残っていたのはこれまた少し古いが「オペレーションウルフ」であろうか。
映画「コマンドー」や「ランボー」を彷彿とさせる様なデモ画面とタイトルのバックに流れる曲はさながら映画のプロローグや予告編を見る様であった。当時のハード事情では画面的にそれ程派手な演出は出来なかったので、それをサウンドで実に上手く補っていたのである。

本当はまだ他のゲームやメーカーのサウンドについて語りたい所ではあるが、今回はここまでとしてまた別の機会に語りたいと思う。

20年前に語りたかったアーケードゲームの話(7) 個人的に大好きなゲームミュージックの話 進化を支えたナムコの音楽

閑話 個人的に大好きなゲームミュージックの話

せっかくゲーム音の話が出たので、個人的な趣味としてのゲームミュージックについても語っておこう。ただ、先に断っておくが私は音楽に関して全くの素人である。音楽的な良し悪しも、楽器やハードの技術についても語れる程に詳しい訳ではない。私の基準はあくまでも私自身の好みでしかないことを了承していただきたい。

前回語ったインベーダーの例に限らず、ゲーム音の組合せから音楽らしい雰囲気のあるものは初期のゲームでも見られたが、私がゲーム音楽を初めて認識したのは恐らく「ギャラクシアン」(ナムコ)のゲーム開始時に流れるほんの数秒の、ここでは仮にオープニングファンファーレと呼ぶが、とにかくそれでないかと思う。
まあ何をもって音楽とするかで意見は分かれるであろうが、ゲームプレイに直接関係が無く、ただの演出として音が流れたのはこの辺りからではないだろうか。
ナムコはこの頃から既にゲーム音楽を意識しており、技術的な制約の多い中で様々なサウンドを生み出していた。特にオープニングファンファーレには印象的な名曲も多い。
パックマン」ではまだオープニングやゲーム間に短いフレーズが流れる程度だったが、プレイ中のゲーム音との組み合わせでゲーム全体としてのゲーム音楽として確立していた。

BGMとしてプレイ中に絶えず流れ続けたのは「ラリーX」(ナムコ)が最初との事で、巷ではこれがゲームミュージックの元祖ということになっているらしい。確かにプレイ開始から流れ続けたと言う事ではそうなのかもしれないが、私の記憶では「ルパン三世」(タイトー)で面の後半だけではあるものの、プレイ中にルパン三世のテーマが流れていたのでBGMとしてはこちらの方が先ではないかと思う。(記録を調べた限り発売が半年程の差なのでどちらでも良いのだが)

そしてゲームミュージックという概念を完全に確立したのはやはり「ゼビウス」(ナムコ)であろう。
とにかく派手なオープニングファンファーレからの透明感のあるシンプルなBGMは実に洗練されていた。正直、単体でのミュージックとしてはまだまだ物足りないものではあったが、後にYMO細野晴臣氏によるゼビウスサウンドをアレンジしたミュージックアルバムが発売され、これによりゲームミュージックがゲームから独立した音楽ジャンルのひとつとなったのは有名な話だ。
この頃は他メーカーの音楽も進化していたが、やはりナムコが頭ひとつ飛び抜けていた感はある。
マッピー」や「リブルラブル」では既にBGMそのものが単体の音楽として成立し、そしてゲームミュージックとしてのひとつの完成形として「ドルアーガの塔」が登場する。
ナムコお馴染みの派手なオープニングからのメロディラインの盛り上げはゲーム内容である剣と魔法の世界をイメージさせ、曲調もスターウォーズ等の映画音楽を強く意識したものに仕上がっていた。
その後も「スカイキッド」「メトロクロス」の様なゲームそのものよりも音楽の方が印象に残る本末転倒な事態も起こるが、私自身この音楽を聴く為にこれらのゲームをプレイしていたのだからそういう意味では音楽がインカムを上げる要素となり得るという証明とも言える。

ただ、この頃を最後にナムコゲーム音楽はその個性を失ってしまった様に感じるのは私だけだろうか。音楽としてのクオリティは上がっていったものの、それはゲームミュージックとしてではなく、巷の数ある音楽のひとつになってしまった様な気がするのだ。

一歩ナムコに出遅れた感はあったものの、他メーカーにも優れたゲーム音楽が続々誕生し、ゲームミュージックというジャンルは成熟していく。メーカー毎にそれぞれ個性が違って実に趣のある音楽も多かった。

まずはコナミだが、コナミと言えばやはり「ツインビー」であろう。キーボード系音源の特徴的なオープニングファンファーレからのBGMは家庭用でもほぼ同じクオリティで聴く事ができたので知っている人も多いだろう。また、「グラディウス」「イーアルカンフー」等のビープ音からの脱却した音楽を意識し、音に力を入れていた印象が強い。
ただ、残念ながら個人的には「ツインビー」以外に印象に残った曲がない。実はこれには理由があって、後期のナムコ同様に音楽的に洗練する代わりにゲーム音楽としての重要な部分が足りないと感じていたのだ。

ゲーム音楽には、当然ながらそのゲームを象徴する強いイメージが必要だ。そしてプレイ中にそのイメージを植え付ける為には特徴的なフレーズの繰り返しが必須なのである。なぜならプレイ中にはBGMに集中して聴き入る事はほぼ無い為に、ただ音楽が流れるだけでは耳を素通りするだけとなってしまうからだ。
繰り返し、しつこく耳に付く音だからこそプレイ中の様々なシーンに紐付けられて記憶に染付くのである。が、そういったゲームを代表する特徴的なフレーズがコナミの音楽には実に少ないのだ。先の「ツインビー」にしても繰り返すフレーズは少ないのでこういう音、というイメージはあまり湧かない筈である。

ナムココナミに限った事ではないが、ハードの制約が減って行くに従ってゲーム音楽がそのゲーム音楽らしさを失い、魅力も徐々に失われていく事になるのは実に皮肉なものであると言えよう。

そういった意味では、後期のカプコンにも同様の事が言えるが初期のハードの制約があった頃は名曲も多かった。
中でも「1942」は殆ど笛とプロペラ音の様な音楽とも言えない音で奏でるリズムだけで仕上がっており、戦争物の雰囲気を実に上手く醸し出していた傑作である。
そして極めつけはあの「魔界村」だ。物語の始まりを感じさせるイントロからのオープニングファンファーレ、そこから続くバロック調のBGMは中世の世界観とホラー系の妖しさを表現した正に名曲であろう。こちらはゲーム音楽のセオリーもしっかり守っており、カプコンサウンドの最高傑作だと思う。

アイレムで印象に残るのは「ロードランナー」と「スパルタンX」位であろうか。「R-TYPE」も悪くは無いが、アイレムは全体的に音楽に力を入れている感じはなく、シンプルで聴きやすいものの印象に残るサウンドは少なかった。
また、コナミサウンドにも同じ事が言えるが、ゲームセンターという環境を考慮した音ではなかった様に思う。

ゲームセンターはそもそも音楽を聴くには向かない環境だ。以前のゲーム筐体のスピーカーはお世辞にも良いとは言えなかったし、当然の様にモノラルである。またどうしても話し声や他のゲーム音等、雑音の多い場所でもある。その様な条件下では一般的な普通の音楽は周りに掻き消されて非常に聴こえにくい。ましてや初期の単純なビープ音ならいざ知らず、上品な音楽の全てを最初から最後まで聴き取る事は非常に難しいのだ。そういう理由もあって音の繰り返しは必要なのである。

逆にシンプルで上手いなあ、と思うのはテーカン(現テクモ)の「スターフォース」や「アルゴスの戦士」だ。硬質な高音とベースの様な低音でのシンプルな音楽の繰り返しによるゲームを強く意識したサウンドになっている。特に「スターフォース」はオープニングファンファーレが度々流れ、地味なBGMとの対比で実に印象深いフレーズとなっている。しかもパワーアップ時やボス戦等の要所での繰り返し音楽がアクセントになっており、ゲーム音楽のお手本と言えるのではないかと思うのだ。

意外と言っては失礼だが、ゲーム音楽的に良く出来ていたと思うのはSNKだ。
これもまた初期の作品ばかりであるが、「ASO」「アテナ」「怒」等、シンプルだがしっかりしたメロディラインを中心としたサウンドで耳に馴染みやすく記憶に残りやすかった。
音にクリア感が無く洗練されているとは言い難かったが、音程は高めでゲームセンター内でも聞こえやすい点が優れている。
特に「怒」は戦場物で映画「ランボー」をイメージした音楽がゲームを盛り上げるのに貢献していた。これもまた「餓狼伝説」等の対戦格闘ゲームが主流になってくると共に印象に残る音楽が無くなっていったのが不思議だ。

20年前に語りたかったアーケードゲームの話(6) 名機に欠かせないゲーム音

実は名機に欠かせないゲーム音

昔熱中したゲームを思い出す時、最初に頭に思い浮かぶシーンは何であろうか。
勿論ゲーム画面、特に開始画面が多いはずであるが、その時には同時にゲーム音が頭の中に鳴り響いたはずである。

ゲームの内容自体は思い出せなくても、そのBGMは強く印象に残っているのではないだろうか。

プレイ時はゲームに集中する為、案外自機の周り以外の部分には目が行き届かないものである。
周りの背景が美しいといった、グラフィック面を見る余裕があるのはギャラリー達であり、プレイヤーにとっては何度も繰り返し見る開始画面位しかじっくり見る事はないであろう。

そんな中、絶えず繰り返し聞こえて来るゲーム音は集中しているプレイヤーの耳にも残りやすく、また盛り上がる場面でのBGMはプレイヤーの気分を高揚させるには必須のアイテムでもある。

またゲームバランス調整の効果をあげる技術として、プレイヤーを焦らせる為にBGMのテンポの変化を使って混乱させるゲームもある。

テトリス」(セガ版)は実に分かりやすい例であろう。

最初はのんびりとした曲調から始まるのだが、レベルが上がるとそれにに応じて徐々にテンポが早くなり、更にはブロックが積み上がってピンチになると途端にサイレンをイメージさせるBGMを織り込んで煽ってくるのだ。

プレイ中このBGMの変化でパニックになりそうになったプレイヤーも多い筈だ。

この手法は「マッピー」(ナムコ)等、他のゲームにもいくつか見られるが、古くは「スペースインベーダー」(タイトー)で既に確立されている。

当時はサウンドボードも無い時代、ほぼビープ音の組み合わせだけで音楽とも言えない代物だが、低音のインベーダーの足音(?)と高音の自機の発射音の対比、そして敵が減り進行速度が上がっていくのに合わせて音のテンポが早くなる様はプレイヤーを徐々に煽りながら、さながらBGMのように聞こえてしまうのは実に見事である。

まあその辺りは果たして意図したものなのか、技術的にそれしかやりようがなかったのかは定かではないが、それでもインベーダーと言えばこのサウンド、と言える程の印象深さであるのは間違いない。

この様に名機と呼べるゲームには必ずと言って良いほど印象的なゲーム音が存在する。
こう書くと大抵はBGMの方をイメージすると思うが、必ずしもそうとは限らない。先のインベーダーの例の様に音楽として確立していなくとも良いのだ。

例えば「ストリートファイターⅡ」(カプコン)にはこれといって印象深いBGMがあるわけでは無い。
では何が印象に残っているかと言えばあの『波動拳!!』の叫び声である。
要はゲームの印象を決定付ける音である事が重要なのだ。

また、攻撃が当たった時の「スパーン!!」といった打撃音も持続性に必要な爽快感を感じさせるのに非常に有効な演出なのである。

もう一つ、ゲーム音が重要な役割である事を実感した例をあげておこう。
私の担当していた店に「チェイスHQ」(タイトー)がテストマシンとして設置された時の話である。

当時、店にはタイトー製の体感ゲーム「フルスロットル」が稼働しており、その基板交換という形で設置する事となったのだが、その際どういう訳か基板の不具合で音が全く出なかった。
まだ市場に出る前のゲームだった為、当然どういう音が出るのかは誰も知らない訳だが、とにかく当面はその状態のままテストされる事となった。

チェイスHQ」は分類としてはドライブゲームではあるが、犯罪者の運転する車を追跡し、相手の車に自車を体当たりさせて逮捕するという通常とは全く逆の発想から生まれたゲームである。

ゲームの序盤は通常のドライブゲームと同じく障害を躱しながら進むのだが、後半は逆に犯人の車にガンガンぶつける爽快感がたまらない名機である。

ただ、私も設置時に音無しの状態のままテストプレイしてみたのだが、その時の印象は発想は面白いが少し地味かな、という感じだった。
テスト開始時のインカム自体も比較的好調ではあったがテストマシンとしては中の上、程度であった。

ところが数日後、再度正常な基板に交換してテストプレイを始めた時のことである。

ゲーム開始時の「ナンシーから緊急連絡!…」の声がスピーカーから流れた途端、周りのギャラリーがどよめいたのだ。

実は「チェイスHQ」の売りのひとつはこのゲーム内のキャラの会話シーンで、助手席の相棒がプレイヤーがミスをする度にクレームをつけるのである。

明るい女性のチュートリアル音声とゲーム中横でやかましく文句をつける相棒の声はドライブゲームとは思えない賑やかさで画面の変化の乏しさを補い、映画の様なストーリー性と華やかさを感じさせるのだ。

そして犯人の車を発見した際に鳴り響くサイレンが追跡から逮捕への場面転換を演出するのである。

元々の派手な動きの筐体と一風変わったゲーム内容、それをゲームサウンドが見事に盛り上げ、プレイヤーを引きつけるための最大の効果を発揮した。

その日からインカムは前日の倍以上に跳ね上がり、晴れて名機の仲間入りする事となるのである。

店舗運営において、ゲームの音量調整は意外に重要だ。特に昔のテーブルタイプが主体だった頃はスピーカーの場所があまり良くなかったので、少し大きめに設定しないとプレイヤーに聴こえ難かった。

様々なゲーム音が鳴り響く中、周りにかき消され無いようにと音量を上げ続けた結果、かなり騒々しい感じになってしまった店舗や、逆に一時期妙に音量を絞った店舗があったものだ。

私の場合は新製品は最初のうちだけ若干他より大きめの音量にして、定期的に全体の音量を少しだけ絞るといった調整をしていた。

気を付けていても店舗内でその音量に慣れすぎると、いつの間にか全体的な音量が大きくなりがちなのだ。
うるさくなり過ぎず、だがそれぞれのゲーム音が迫力に欠けることの無いように調整するのは意外に難しかった。

現在のミドルタイプの筐体はプレイヤーの正面にスピーカーがあるのでかなり音に関する状況は良くなった様だが、それでもたまに音量に無頓着な店舗もあるのは残念だ。

今は昔ほど個性的で耳に残るゲーム音が無くなった様な気もするが、また原点に戻ってシンプルでこのゲームと言えばこの音!というサウンドを聴かせてもらいたいものである。

20年前に語りたかったアーケードゲームの話(5) ゲームバランス調整の難しさ

ゲームバランスの難しさ

長い前置きとなったが、プレイ時間が短くともプレイヤーを集中させる事で満足させることは充分可能だと思う。

勿論、それが簡単に出来るならば苦労はない訳で、ゲームバランスの優れたゲームを作り出すのは至難の業であるということも今まで語って来た通りである。

では過去のゲームでは実際どの様にしてバランスをとっていたのだろうか。
ブロック崩しやインベーダー等の初期のゲームによく見られたのは、プレイヤーの力量と時間に応じて徐々に難易度が上がっていくというスタイルである。
つまりブロックを崩していく毎に弾の速度が徐々に上がっていったり、インベーダーの数が減っていく毎に敵の進行が速くなっていくあれである。

スペースインベーダーをプレイした人なら経験はあると思うが、最初は余裕のあったものが、徐々に速度が上がり面の後半になると休む間もなくなっていき、自分の力量を超えて追い詰められた辺りでちょっとしたパニック状態というか興奮して集中する感覚はなかっただろうか?
そして面をクリアした瞬間、フッと気が抜ける開放感と達成感が更なる快感となったはずである。

この徐々に難易度が上がっていく、という所がポイントで、突然難しくなるとやられた不満感しか残らないが、力量に合わせて難しくなっていくことで自分の実力不足に納得し、そして悔しいからもう少し上達したい、という欲求に繋がるのだ。まさにプレイ時間と熱中度を両立させる優れたシステムである。

元々は容量的な問題から同じ様なパターンを繰り返すしか方法がなかった為にこのような形になったのだろうが、ゲームバランスとして考えれば初期にしてほぼ完成されたシステムであると言える。

ところが技術が進歩していくに従ってゲームのスタイルは大きく変わって行く。

ゼビウス」の登場である。

それまでほぼ真っ黒だった背景が地上を表現できる様になり、スクロールシューティングゲームとも言えるジャンルを作り出した。
そして飛来してくる敵機を迎撃しながら一定の距離を進み、ボスを倒して面クリアという、ある種のストーリー性が出来てくるのである。

この画期的なゲームスタイルはその後のゲームの主流となっていくが、逆にそれはゲームバランスの面では非常に難しいものにしてしまった。

スクロールが一定速度のままゲームが進行する為、初心者でも上級者でも1面あたりのプレイ時間は変わらない。
しかも難易度の上がり方は基本力量に関係なくほぼ一定である。

つまり、プレイ時間を難易度で調整しようとすると上級者に合わせようとすれば初心者にはかなりの難度となり、逆に初心者に合わせれば上級者は延々とプレイできるといったジレンマに陥ってしまうのである。

更には、スクロール速度が一定ということは、何度もプレイした上級者にしてみれば時間的な余裕が出来るのでパターン攻略がよりしやすくなるということになる。

これは「グラディウス」辺りからより顕著になり、バランスのとり方をより難しいものにしてしまった。

当時ゲーセンに通った人であれば1度は見たことがあるのではないだろうか。
上級者がグラディウスの1面の火山地帯の直前から自機とオプションを1か所に集めてレーザーで火山口から出る岩を一網打尽にする場面を。
その際にポジションを早めに決めて、後はジュースを飲みながらただボタンを押すだけのプレイヤーの姿を見て私はそのプレイ本当に面白いのか?と疑問に思ったものである。

シューティングゲームに限らず、アクションゲームや格闘ゲームでも面クリア毎に難易度が上がるシステムである限り調整の難しさは同様であり、ただシューティングゲームと比べて多少強引に難易度を上げても誤魔化しやすいだけである。

業界にいた当時、私はスクロール型ゲームの難易度でのプレイ時間調整は無理だと感じていた。
どれほど上手く調整したところでプレイヤーが上達していけばプレイ時間が延びるのは止められないので、結局全面クリアで強制的に終了するしか方法が無くなってしまうのだ。

私はゲームのシステムとして初期のゲームのような力量に応じてリアルタイムで難易度が上がっていくスタイルをスクロール型ゲームでも取り入れられないかと考えていた。

会社には新ゲームの提案制度があり、私自身もたまにアイデアを提案していたのだが、提案しようと考えていた中の一つにスクロール型のアクションゲームがあり、そのシステムとして考案したものがある。

それはプレイ時にノーミスの間、段階的に移動速度が上がっていく、というものだ。最初は通常の歩行で、徐々に早歩き、走り、ダッシュとなり、スクロール速度も移動に合わせて速くなる。逆にダメージを受けるとその都度移動速度が遅くなっていく、というものである。

動きが早くなれば操作が難しくなり難易度調整になるし、仮にそのままノーミスで進んでも1面のクリアタイムが短縮されるので、上手くいけば全面クリアしてもプレイ時間を節約出来る、という訳だ。
仮に全面クリアに通常30分かかるものが20分弱になるだけでも1日の稼働効率で考えれば結構なものであろう。しかもプレイヤー側としても力量に応じて細やかに難易度が変わるので上級者が序盤でだらける事も減る。

シューティングゲームでも応用は効くと思うのだが、自機の速度とスクロール速度が上がっていくだけでも時間短縮にはつながるであろう。

今となってはスクロール型のゲーム自体が絶滅危惧種となってしまったが、こんなシステムのゲームを一つ位見てみたいものである。

20年前に語りたかったアーケードゲームの話(4) プレイ時間と満足度の関係

プレイ時間と満足度

アーケードゲームに求められる要素とコンシューマゲームで求められる要素には決定的に違う点がある。
それはもちろんインカムに絡む部分ということであるが、1回のプレイにおけるプレイ時間とその満足度である。
前にも語ったことであるが基本的にコンシューマゲームは1回ソフトを買ってもらえさえすれば一応成功と言える。
それに対して、アーケードゲームは最初のワンコインで客の心をつかめなければ終わりであり、少しでも飽きればすぐに離れられるというシビアな世界なのである。
制作側としては、じっくりと腰を据えてプレイ出来、ストーリーを重視したゲームの方を作れるコンシューマの方がよりクリエイティブに感じて魅力的であろう。
しかも意地の悪い言い方だが、前宣伝が上手ければ中身が伴っていなくてもそれなりには売上をあげることもでき、クリエイターの自己満足で終わるゲームができやすい環境であったと言える。
実際、初期のファミコンブームの時にはそんな元祖クソゲーが乱発され、私はそんなファミコンソフトを見ながらまだまだアーケードゲームの優位は揺るがないと思っていたものだ。
とにかく、アーケードゲームには短時間でプレイヤーを楽しませ、次のプレイに繋げる工夫が必須であり、その部分こそがクリエイターの技術で最も評価されなければいけないと思うのだ。

では、プレイ時間がどの位ならプレイヤーは満足するのだろうか。
以前大体の目安として3分前後がセオリーであるとしたが、例えばシューティングゲーム等の場合で序盤から1面クリアするかどうかという展開まで行けないと満足度が足りず、その為にはその位の時間がどうしても必要である、というのが理由である。
勿論プレイ時間が短ければ短い程インカム的には良いのではあるが、そういった満足度との兼ね合いを考えた時にこの時間設定となるのであろう。
シューティングゲームやアクションゲームにおいて、ストーリーや背景となる設定に力を入れたゲームはその性質からどうしてもある程度のプレイ時間が必要となってくる。
あまりプレイ時間が短いと、ストーリーを味わう暇が足りず物足りない印象を与えてしまうからだ。
そういった意味ではアーケードゲームとストーリー性というのは実は相性か悪く、逆に、じっくりとストーリーを追うことができるコンシューマとっては向いているということであろう。

だが、通常のゲーム以外の物、例えばクレーンゲーム等のプレイ時間はせいぜい1分程度である。
景品が取れれば元は取れるかもしれないが、余程の上級者でもなければ1回では難しいだろう。
それでも景品が欲しい、または取れなくて悔しい、もう一度やれば取れるかもしれない、という欲求や期待感からさらなるインカムを呼び込むのである。
要するに、プレイ時間と満足度は必ずしも直結している訳ではない、ということだ。

私が思うに、アーケードゲームにおける満足度というのはプレイした結果楽しかった、という満足感だけではなく、いかにプレイヤーを興奮させ、集中してプレイさせるかという言わば熱中度の度合いが重要で、プレイ時間の短縮、ひいてはインカムにつながるということである。